旅とバカラと酒と本

自分のおももくままに書き綴るブログです

バカラ旅マニラ リベンジ編①

前回大雨による冠水で最終日の勝負が出来ず、中途半端な気分で帰国した僕は、帰国の2日後には再度マニラに行く事を決めた。

僕の働いている業界は夏はかなり暇なのである。

出発日は3週間後で飛行機代は34700円と前回より8千円ほど高くついた。

 

ところでZIPエアという飛行機会社をご存知だろうか。

この会社は日本航空の子会社のLCC(格安飛行機)でこの夏からマニラに飛ぶようになったのだが、今回取ったチケットは往復共にこのZIPエアにした。(前回も行きはZIPで帰りはセブパシフィック航空)

 

日本航空の子会社だけあって?飛行機は綺麗だしWi-Fiは無料で使えるし(但し電波弱くて使えない時多し)何より時間帯が抜群である。

成田を9時半頃出発するとマニラには13時頃到着してしまう。

(一応1時間の時差があるので日本時間では2時頃着。今見たら出発が8時台になっていた)

 

つまり朝、日本を出て昼過ぎにはもうバカラをする事が出来るのだ。

 

ところがこの飛行機が到着するのがマニラにある4つの空港の内、ターミナル1(T1)なのが少し厄介なのである。

と言うのも同じLCCのセブパシフィック航空が就航するターミナル3(T3)だとUBEバスという直接マラテまで行くバスもあるし、白タクシー乗り場もある。(文字通り色が白いタクシーで危険とも言われるが一番安い。僕は今まで一度も問題ない)

 

安く行こうとすればループバスで最寄りの駅まで行ってそこから電車でマラテまで行く事だって出来る。

しかしT1だと黄色タクシー(車体が黄色で安全と言われるが高い)かグラブタクシー(日本のタクシーGOみたいなもん?)くらいしか移動手段がない。

前回、安全と言われる黄色タクシーに乗ったら、白タクシーなら210ペソ位のところを630ペソ取られ、その上運転手が悪質で、細かいお金が足らなかったので1000ペソ出したところ一向にお釣りを返そうとせず、すったもんだの挙句、ようやくお釣りを取り返すという面倒くさい目に遭ったのだ。

 

旅人の裏技的なテクニックとして空港で客を降ろしたばかりのタクシーを拾う、というのがある。

空港に巣くう悪質なタクシーを回避するには有効な手段だが、T1の出発フロアまで上がり、そこにいたタクシーと交渉してみたが、どいつもこいつも話にならない悪質運転手ばかりだった。

(結果的に客を降ろす場所ははるかに先にあったのだが、それに気づかずそこから数百メーター離れた場所で交渉していたのが原因だった。次回は上手くやりたいと思います)

 

仕方ないのでまた到着フロアまで降りてグラブタクシーカウンターに行ったところ日本人の二人組を発見した。

何故だかピンと来た僕はマラテに行くならご一緒出来ないかと聞いてみると、やはり行先はマラテで一緒に行くのもOKだという。

彼らもグラブタクシーを頼もうとしていたが、カウンターが込んでいた為、ご自分のスマホで今から予約をするという。

この方は奥さんがフィリピン人でフィリピンに家も持っている「超」の付くフィリピン通の方であった。

もう一人の方は友人でフィリピンは初めてで、後日2人でボラカイ島に行くとの事であった。ボラカイ島とはかつて世界一美しいと言われたビーチを持つ島である。

 

フィリピン通の方が頼んだグラブタクシーはすぐにやって来て料金は352ペソでマラテまで行くという。

割り勘という事であったがお礼に少し多めに150ペソを支払い、大変安くマラテまで行く事が出来、幸先の良いバカラ旅がスタートしたのであった。

 

(次回に続きます!)

コロナ後のカジノ旅⑥マニラ

結局昨日はその夜の勝負でマイナスを少し減らし、トータルマイナス3150ペソで終了した。

これ位のマイナスなら最終日に一気に取り返して大きくプラスにして帰れる。

もういい加減プラスの流れが来るだろうと最終日を迎える事になった。

 

最終日の飛行機は午後2時頃発なので午前中は充分な時間がある。

ところが夜中、というか午前3時だか4時だかはっきり覚えてないが大雨の音がする中、聞いた事のない警告音で携帯が鳴っていた。(画像を見たら5:57でした)

寝ぼけていたので起きなかったが朝、携帯を見るとこの様な警告文が送られて来ていた。

Oreange Rainfallの意味が分かりませんでしたがRedの次に危ない段階でした

起きてからも何だろう、これは? 今は雨も小降りなのにと考えていた。

 

そして「それでは最後のバカラ勝負!」とばかりに外に出てみてびっくりである。

外が冠水でカジノに行けないのである・・・

ピンボケです。すんません。

 

「げげっ!」

 

 

これでは最後の勝負が出来ない・・・

 

このままでは負けが確定して「負け旅」になってしまうではないか。

ここのところコロナ前から一応3連勝を続けていたので負けで終わるのが残念で、靴を脱いでサンダルでカジノまで行くか、とも考えたが今回の旅の流れを思うと、ここは神様が「止めておけ」とでも言っている様な気がしてカジノに行くのはあきらめる事にした。

 

残念ながら今回のバカラ旅はここで終了である。

 

と言うより無事に空港に行けるのか?という心配が頭をよぎり、予定より少し早めに空港に行く事にした。次の日からは仕事である。

 

タクシーを捕まえたが次から次へとこちらの足元を見てボッタクリ価格を吹っかけてきて話にならない。

何台目か忘れたが初老の運転手が最初「500ペソ」と言ってきたのを僕が「300ペソ」と言い返すと、何だか分からないがあっさりと300ペソで話がまとまった。

ここマラテの中心地から空港までは通常ならメーターで200ペソ強で行く事が出来る。

300ペソでもボラれているがこの場合仕方ない。

 

途中、冠水で車の床あたりまで水が来て「これは止まるのではないか・・・」と恐れおののいたがなんとか無事に空港までたどり着く事が出来た。

 

海外に個人旅行をすると思いもしないトラブルに遭遇する事がある。

トラベルの語源はトラブルなのである(本当)

 

 

(次回、バカラ旅マニラリベンジ編に続きます!)

 

コロナ後のカジノ旅⑤マニラ

 

午前の勝負で最後に勝ちを減らしたものの何とかトータルでプラスマイナスゼロ(厳密には100ペソプラス)まで戻した僕は、お決まりの日本料理屋の美鈴で美鈴弁当とサンミゲルビールで一息入れる事にした。

定番の美鈴弁当とサンミゲルビール 至福の時間です

勝った勝負を振り返りながら飲むビールは何でこんなに美味しいのだろう。

他人が見たら顔がニヤニヤして気持ち悪い事間違いなしである。

 

今回のバカラ旅の流れは、まずマイナスしてそれを取り返し、またマイナスしてそれを取り返す、という流れで来ている。

プラマイゼロに戻した今、そろそろプラスが先行する流れが来てもおかしくなさそうだ。

そんな事を思いながら一寝入りした後、またカジノに向かったのだがバカラはそんなに甘くない・・・

 

結局次の勝負でも途中の調子の良いところで止めておけば結構プラスで終われたものの止め時を誤り、結果6900ペソのマイナスで終了。

もっとマイナスしていたので、このマイナスで済んだのは良かったとも言える。

 

いつも思うのだがバカラは止め時が本当に難しい。

どこがその勝負のピークなのかやってる本人には分からないからだ。

だからある程度、この辺のプラスまで来たら、例えその勝負が数分であったとしてもそこで止めるという具合に決めておくのが必要かと思う。

もうちょっと勝負をしたい、とか物足りない、とかで止め時を誤るのは良くない。

特にカジノ旅に出るとカジノ以外はやる事が無くて暇なので時間を持て余し、バカラをやりたいが為にズルズルと止め時を誤る事がある様に思う。

勝つ事が一番の目的なのだからそこは勝負に徹しないといけないとこのブログを書きながら改めて思った次第である。

 

 

コロナ後のカジノ旅④マニラ

美鈴のランチと昼ビールで気持ちよく酔っ払い、しばらくホテルで眠った後に再度カジノに復帰した僕はマイナスを取り返した事もあり、もう負けるというイメージなど微塵もなかった。

 

しかしそこから今度は18900ペソの惨敗・・・

 

この時は大体1000~1500ペソ(1ペソ2.6円)をベースに賭けていたが

この賭け金でこの負けは結構調子が悪かった事を意味する。

18900ペソといえばおよそ5万円である。

サラリーマンの僕にとってはかなり痛い金額である。

 

打ちひしがれた気持ちで何とかこの金額で思い留まった。

この辺は自分で言うのもなんだが最近の僕のちょっとした成長である。

以前であれば更に歯止めが効かず突っ走って有り金全部失っていたかもしれない。

 

何年も前にまだバカラをやってなかった頃、マカオに大小というサイコロを使ったゲームをしに行った事があるが、最初から調子が悪かったにも関わらずそのまま突っ走り、有り金のほぼ全てを失なって初日の数時間にて全て終了、という事があった。

その時は残り3日間何をするでもなく、ただただ無為に帰国の便を待つという悲惨な目にあった事がある。

 

それから比べればここで思い留まったのは少しは成長したと言えよう。

 

翌日の午前中の勝負では場所を変えて、前日マイナスを取り返したシティステートタワーホテルのカジノに向かった。

そしてそこで出会ったのが今までバカラで見てきた中で最もツキのある男だった。

 

男は僕のひとつ席を挟んで左の席にいたのだが最初は2万ペソ位のチップをテーブルに並べてプレイしていた。

当たると大胆過ぎるほど賭け金を増やし、僕は内心「あ~あ、やめときゃいいのになぁ」と半分さめた目でみていた。

しかしこれが当たる当たる・・・

どんどんテーブルのチップが増えていくのである・・・

 

流れ的にそれは無いだろうと僕の考えとは全く逆に賭けた時でもピタ、ピタッと面白い様に彼が賭けた結果通りになるのだ。

最初は僕も彼の逆に賭けていた時もあったが終いにはどれだけ自分の考えと違っても彼が賭ける通りにチップを置く様になった。

彼の様に凄まじく大胆に賭ける事は出来なかったが、それでも僕も彼のツキに乗っかって、一気に取り返すのは難しいと思われた18900ペソの負けを全て取り返して更にはプラスに転じていた。

彼の方は、と見ると何とテーブルに置かれたチップが20万ペソを超えているではないか!

20万ペソと言えば52万円である。

フィリピン人と思える彼にしたら彼らの平均年収を超えた?金額をわずかな時間で稼ぎ出した事になる。

7万ペソ位まで増えた時、更に大胆に賭け出したのを見て「おいおい、もうそこで止めときなよ!」と内心ハラハラしていたのだが愚かなのはこっちの方だったのだ・・・

 

その後彼はテーブルを去り、僕もその後しばらくプレイしたが調子が上がらず手持ちのチップを減らし結局プラス19000ペソで何とか昨日の負けを取り戻したのであった。

 

 

コロナ後のカジノ旅③マニラ

 

最初の勝負ではあっさりと1万ペソ(2.6万円)やられた。

 

場所はニューコーストホテルマニラのカジノである。

マラテのマビニ通りのど真ん中にある結構大きなカジノである。

 

昼食でビールを飲み、酔っ払った状態で行ったのが良くなかったのか何だかよく分からないまま、あっと言う間に両替した1万ペソが無くなってしまった。

最近は少し成長したのか以前であれば熱くなって更に両替して深手を負っていたはずであるがその時はそこで思い留まる事が出来た。

 

不思議なものでバカラはどんなに流れが悪い時でもテーブルを変えたり、一旦打ち切って再度プレイしたりすると途端に流れが変わる事がある。

なので流れが悪い時にはそのままズルズル続行せずに何か変化を加える事が重要である。

極めて個人的な感想だが調子の悪い時は最初の勝負から外れる事が多く、逆に結果的に調子が良かった時は最初から当たる時が多い。

初っ端の勝負でこちらが絵札(0点)と絵札(0点)の0で相手があっさり9(1番強い)なんて時は例え1回しか勝負してなくてもテーブルを変えてもいいと思うくらいだ。

上記の様に全く勝負にならず負けたり、8なのに9で負けたりする時などは最悪の流れではないかと疑ってかかった方がよいと思う。

(もちろん最初に外しても調子の良い時もありそんな単純なものでないが)

 

最初に1万ペソのハンディは痛いがこれ位なら取り返せる、そう思う事にして一旦止める事にした。

 

その判断が良かったのか翌日午前の勝負では11100ペソ勝ち、トータル1100ペソだけだがプラスにする事が出来た。

 

プラスになった時飲むビールは美味い。この場合プラスの金額は知れてるがマイナスから取り返しプラスになったものであるから満足度は低くない。

そこで僕はお気に入りの日本料理屋「美鈴」でランチをしながらフィリピンの代表的ビールであるサンミゲルを飲む事にした。

美鈴弁当420ペソ 刺身と天ぷらが付いて最高です

マニラの様な油断のならない街で日本料理屋に入りビールを飲む。

そこだけはほとんど日本の空間であり落ち着け、ビールの酔いも加わって気持ちが解放され、とてもくつろげるので僕はこの時間が大好きなのである。

有体に言ってしまえばこの時間を味わう為にマニラに来ていると言ってもいいくらいだ。

 

こうなってしまうともう負ける事なんて考えもせず、次からの勝負は間違いなく調子良く勝ち続ける、という想像しか出来ません。

ところがそうはいかず・・・

コロナ後のカジノ旅②マニラ

 

マニラは僕にとってちょっとキツイ街である。

 

何がキツイかと言えばあまり油断が出来ない、ちょっと気を抜くと何かやられちゃう様なそんな気がする街なのである。

やたらとお金をせびる路上生活者やストリートチルドレン達、排ガスやすえた街の臭い、まともに歩く事の出来ないゴミゴミした歩道、爆音で走るジプニーなど、僕がよく行くバンコクと比べるとほっと出来ないと言うか、なかなか南国ムードを味わってのんびりする空気ではないのだ。

 

先日もマビニ通りを歩いているとストリートチルドレンにしては身体も大きくなってきた12~13歳位の少年3人に囲まれ、やたらと身体を擦り寄せてきてうっとうしいので早歩きで離れたものの、ひとりだけ黒いカッパの様なものを着た手元の見えない格好の奴が更にしつこく再度擦り寄って来て、危険を感じたので踵を返し、進行方向とは逆に走って逃げたので難を逃れたが、気が付くとお金が入ったバッグのファスナーを開けられていた・・・

 

そして前述のKさんに至っては実際にホールドアップに遭っており、パスポートからお金から全て奪われてしまった経験をしている。

 

このほど危険でくつろげないマニラにどうしてまた行くのか、と言われたら「近いから」というのが一番の理由だ。

 

バカラが趣味な僕にとってカジノがある近くの場所と言えばソウル、プサンマカオシンガポールカンボジアなどがあるが韓国を除けばどこもマニラより行くのに時間がかかる。

韓国は近いが賭け金が高くないとトランプカードをめくらせてくれないし、第一韓国が日本に対してやっている失礼な事を少しでも知っていれば好きになれるはずもなく、出来れば行きたくないのだ。

 

従って多少難ありでも僕はマニラに通う事になる。

 

マニラは近い。

飛行機が飛び立って実際に乗っている時間は4時間ほどだ。

空港に着いてからもタクシーに乗って30分もあればカジノのある場所に行く事が出来る。

すぐにでもバカラを始める事が可能なのである。

(まあ、たちの悪いタクシー運転手とのバトルなど面倒臭い事はあるが)

また実はフィリピンは隠れた?カジノ大国でカジノの数が結構多い。

マニラだけでも何か所あるだろうか。

空港の周りはぐるっとカジノに囲まれており、僕の行くマラテあたりでもチャイナタウンあたりまで含めると7~8か所はあるのではないだろうか。

 

そんなこんなで僕は2019年以来久し振りにマニラにやって来た。

 

 

(勝負の詳細に関してはまた後ほど)

コロナ後のカジノ旅①マニラ

「それでは5時に串まさで!!」

 

 

旅友2人と夕方5時に居酒屋で飲む約束をした。

 

場所は・・・

 

マニラのマビニ通りにある日本人が経営する居酒屋である。

 

僕には個人的に旅友と呼んでいる友人がいる。

1人はGさんという方でこの方とはマニラの空港から市内に向かうバスの中で知り合った。

バスの行き先を尋ねると大変親切に教えて下さった事から好感を持ち、行き先が同じだったのでそのまま一緒に食事する事になり現在までお付き合いが続く、という流れである。

 

しかしこのGさん、まるでマニラにそぐわない、と言ったらおかしいが僕がイメージするマニラに巣食う日本人やマニラに足しげく通う日本人というとどこか胡散臭い、怪しげな人物を想像してしまうのだが(すみません偏見です!)Gさんの印象といえば「品行方正」「清廉潔白」もひとつオマケに「謹厳実直」といった感じの方である。

それもそのはず、Gさんは誰もが知ってる国立大学を卒業後、一流銀行に就職した経歴を持つ人なのである(銀行は途中退職され現在は投資関係の仕事をしておられる)

 

しかし人とは面白い。

 

Gさんは仕事の関係でだいたい月1回のペースでマニラに来られているが、同時に何とKTVで嫁さんを探しているのだという。

 

「へ?」

 

それを聞いた時思わず内心で唸ってしまった。

KTVと言ったらカラオケパブとキャバクラを足して2で割った様な所である。

そんな日本人を食い物にする様な海千山千の強者女性が集う所で嫁さん探しをするとは・・・。

他人事ながら「大丈夫なのか?」と思わず心配してしまった。

 

しかしそこは頭脳明晰なGさんである。

よくよく聞けば「なるほど~ そういうのもありか」と思わされないでもない。

Gさん曰く

「自分は結婚して子供が欲しい」

「自分の歳だと日本では子供を産める様な年齢の女性との出会いは難しい」

「しかしフィリピンでは可能性がある」

 

確かにそうなのである。

フィリピンに限らず東南アジアでは年齢差のあるカップルをちょこちょこ見かける。

日本に比べ、その辺は鷹揚なのである。

しかしKTV以外に何か方法はないのだろうか、とも思うが他に何か思い浮かぶものもないし、第一KTVの女性が全て商売だけで男性を見ているか、と言えばそんな事もないだろう。

中には性格が良くて、Gさんを個人的に好きになってくれる女性がいないわけではない。

つまりGさんのやってる方法は彼の目的から逆算すれば案外正しいやり方かもしれないと思わされるのだ。

 

この様にGさんは僕にとって興味の尽きない面白い人物なのである。

 

もう1人はKさんである。

Kさんとはバンコク行きの飛行機の中で知り合った。

その時の僕の席は3人シートのまん中という最悪の席だった。

飛行機の場合ひじ掛けの問題がある。

ひじ掛けの使用について全く考えてない男が多過ぎるのだ。

隣の席が女性の場合はまず問題ない。

彼女らはとても賢い。ちゃんとその辺は考えて相手が不快にならない様に行動する事が出来る。

問題は男である。結構な確率でひじ掛けを我が物顔で使ったりする。

その時の右隣の若い男がそうだった。

ところが左隣の人はそうではなかった。ひじ掛けの使用についてちゃんと考えているのが伺える。

それがKさんだった。

その後僕がトイレに行く際、席を立ってもらったのだが戻って来るとKさんは通路で屈伸運動なんぞして待っておられた。

それを見て何だか面白く思った僕は席に着くとKさんに話し掛けた。

話をしてみるとKさんも結構海外には行っている様で、特にフィリピンへは取材を兼ねて相当な回数を重ねている事が分かった。

Kさんの本職は映像の専門家で誰もが聞いた事のあるテレビのドキュメンタリー番組を作ったりしている。

そしてフィリピンへは個人的な興味からある題材でノンフィクション映画を作る為に何度も足を運んでおられた。

その題材というのが何と「フィリピンにはまった男達」という内容である。

フィリピンにはまる男達には色々な要因がある様で、ある男は日本で犯した犯罪から逃げてきた者、日本のフィリピンパブで出会った女を追いかけ来た者、フィリピンで一発当てようとやって来た者など様々である。

ところが結構な割合で男達はフィリピン人や同じ日本人に騙されたり豪遊したりで、すってんてんになって帰るに帰れない状態になったりしている。

中にはスラムに住むまで落ちぶれた人や挙げ句は日本人なのにフィリピンで路上生活している人、パスポートなんかとっくに無くしてしまった人なんかもいる。

そんな悲哀こもごもな日本人達を普通の人ならまず行く事の出来ないスラムにまで追いかけ映像に収めるという事を誰に頼まれたわけでもないのにたった1人でやっている、ある意味凄い人物なのである。

 

それを聞いた時、僕は前述のGさんを紹介したくなった。

映画の役に立つ云々ではなくフィリピン好き同士で話したら楽しいだろうなあ、と思ったからだ。

そしてそれは実現した。

ある時新宿で3人で初めて飲み会を開いたのだ。

それがコロナ前である。

不思議な事にその飲み会はコロナ渦でも続いた。

いつしかその飲み会はマニラ会と命名され「いつかマニラでマニラ会を」が合言葉になっていた。

しかし最初の頃、それは実現するとは思えなかった。

この会は今まで何の関係もない3人がとても細い糸で繋がっていた会だったからいつ切れてもおかしくなかったし、コロナがいつまで続くのかも分からなかった。

コロナが収束しなければマニラになんて行けるはずもなく、また3人とも日本に住んでいるので3人の予定をぴったり合わせてマニラでマニラ会なんて夢のまた夢、といった感じだった。

 

ところが実現したのだ。

 

マニラでマニラ会。

 

なかなか感慨深いものがありました。

 

 

 

 

 

コロナ後初のカジノ旅⑧ポイペト

(よかったらこの話は「コロナ後初のカジノ旅①ポイペト」から読んで下さい)

 

バカラ旅に出た時の獲得金額のミニマム目標は飛行機代や宿泊代、交通費や飲食代等のどうしても旅に掛かる必要経費分である。

今回で言うと飛行機代がコロナ前より大分値上がりした為おおよそ5万円強であった。

 

1万バーツプラスになった時点ではマイナス7000バーツからの逆転劇であり満足感もあったし疲れ切っていたのでもうバンコクに帰ろうかと思っていた。

しかしそれから睡眠をとって起きた時、考えてみれば今からバンコクに戻ったとしても夕方になるしそこから宿を探しをして宿泊代を払うより、ここでもう一泊する方が宿泊もタダだし食事券もあるので費用面でも全然お得であると判断した。

(もちろんこの宿泊によって負ける事になれば身も蓋もないが・・・)

 

カウンターに行きもう一泊する事を告げ、1万バーツ分のプロモーションチップを受け取り、再度バカラのテーブルに向かった。

ここは慎重にプラスマイナスゼロくらいで全然OK、といった気構えで臨んだ。

特に盛り上がりは無かったが

結局2000バーツほどプラスで終える事になり、宿泊がタダになった上に8000円分の儲けが積み上がった。

旅行費用がほぼ回収出来たのでここで打ち止めにする事にした。

 

ところでこのコロナの3年でポイペトの街並みも結構変化しているのが見てとれた。

スターベガスカジノの手前にショッピングモールが出来て(しょぼいですが)その中には何とセブンイレブンが出来ていた。

値段はとても高く、その為人気がない様でデリバリーをして何とかしのいでいる様だった。

 

ポイペトにあったセブンイレブン 潰れない事を祈る・・・


また、そのモールの中には日本食レストラン(うどん屋)なんかも出来ていて日本食が世界的に人気になっているんだなぁと実感した。

ポイペトのうどん屋 今度食べてみたい

モールの裏にはカンボジアとしてはおしゃれな屋台街も出来ており、その中には何と寿司の屋台まで存在し、炎天下の中、生のサーモンの寿司なんぞが直置きして販売されていた。

タイの屋台ではよく見るがポイペトにもついに登場。(大丈夫か?)

ポイペトの屋台の寿司屋 勇気のある方はどうぞ

 

そんなこんなで結局カジノホテルに3泊し、4日めの早朝6時にポイペトの出国管理事務所が開くと同時に出国してミニバスでバンコクに戻った。

早朝5時半にチェックアウトをした際、そのまま出国管理事務所に行けばいいのに何を思ったか「もう一勝負だけ!」とバックパックを背負ったままバカラテーブルに向かい、握りしめた500バーツを「えいやっ」とバンカーに賭けて外したのさえ無ければいい旅だったです・・・

 

次回バカラ旅マニラ編に続きます!

 

 

コロナ後初のカジノ旅⑦ポイペト

(よかったらこの話はコロナ後初のカジノ旅①ポイペトから読んで下さい)

 

7000バーツ負けまで後退した勝負を中止した時、時間は夜中の3時を過ぎていた。

空腹に気が付きカジノホテル内のレストランに行くと24時間やっているはずなのだが残っていたのはカチカチになったチャーハンと微妙な味のする青菜を炒めたカンボジア料理だけだった。

料理人は誰もおらず仕方がないのでそれらを部屋に持ち帰り一緒にビールを飲んだ。(このカジノはレストランでアルコールは飲めない)

そしてその酔いの力を借り、何とか眠りにつく事が出来た。

 

それから何時間経っただろうか。

わりとスッキリした気分で目覚めた僕はシャワーを浴びてからバカラテーブルに復帰した。

この時自分に言い聞かせていたのはとりあえずプラスマイナスゼロを目標にして今回の旅を終わらせよう、という事であった。

こんな遠くまで来て全く儲けがないなんて空しいが仕方がない。

7000バーツを取り返し、さらに儲けを出すのは容易ではない様に思えた。

あまり欲をかかずここは一旦負ける事だけを回避しよう。

 

そこから今度は500バーツをベースに賭け始めたのだが、特別調子がいいわけでもないのにジワジワと手元の資金が増えていく。先ほどとは逆のペースである。

4勝3敗、または5勝4敗くらいの感じなのだろうか、気が付くとすっかり負けを取り返しプラス700バーツまで復活していた。

これは間違いなく7000バーツまで負けが込んできた時に自棄にならず一旦思い留まって名誉ある?撤退をし、悪い流れを断ち切ったお陰であろう。

 

そしてそれからしばらくしてこの旅のハイライトがやって来た。

 

僕の賭け方はツラ目、戻り目を両方追いかけるスタイルだ。

ツラ目とはバンカーならバンカーが連続して勝つ展開で、戻り目とはバンカーとプレイヤーが交互に勝つ展開である。

つまりもしバンカー、バンカーと勝ったならそのままバンカーに賭け続け、外れるまでバンカーに賭け続ける。

逆にバンカー、プレイヤーと勝ったなら次はバンカーに賭ける。

 

この時はプレイヤーが勝った後、どちらが勝ってもおかしくない展開であったが僕はプレイヤーのツラ目に賭けた。

このテーブルには僕の他には4~5人のお客さんがいたがその全員がバンカーに賭けた。

そしてカードをめくるとTieゲーム(引き分け)になり、「フーッ」というため息の後、再度賭け直すと同じ様に僕だけプレイヤーに賭け、他の人はバンカーに賭けた。

そしてまたカードを開けると僕の賭けたプレイヤーの勝ちだった。

するとその4~5人は同じグループだったらしく全員がこの勝負を境に席を立ち、僕だけ1人テーブルに残り勝負をする事になった。

こういう事は珍しい。夜中だったらいざ知らずこんなまだ遅くない時間にずっと1人で勝負を繰り返す事はよっぽど暇なカジノ以外あまりない。

まるでその時は真っ暗な中、僕にだけスポットライトが当たりバカラの勝負をしている様だった。

その中で僕は勝ち続けた。

引き分けの後

プレイヤー(300バーツ)

プレイヤー(600バーツ)

プレイヤー(1200バーツ)

プレイヤー(1000バーツ)

プレイヤー(1000バーツ)

プレイヤー(1000バーツ)

プレイヤー(1000バーツ)

プレイヤー(1000バーツ)

プレイヤー(1000バーツ)

と賭けて当て続け、次もプレイヤーに賭けて外した。

そして僕はその瞬間に席を立った。

もう何時間も勝負をしていたのでここが潮時と判断したのだ。

そしてカジノのディーラーの女性に「すごいわね」なのか「ついてたわね」なのかカンボジア語なので分からないが雰囲気からその様な事を言われ、部屋に戻ってお金を数えるとトータルでおよそ1万バーツほどプラスになっていた。

 

こんな時に飲むビールほど美味いものはない。

僕は勝負の綾を思い出しながら1人ニヤニヤとシンハービールで祝杯を挙げた。

 

もうちょっと続きます。

 

 

 

 

 

コロナ後初のカジノ旅⑥ポイペト

(よかったらこの話は「コロナ後初のカジノ旅①ポイペト」から読んで下さい)

 

バカラの勝負は非常に疲れる。

座って賭けているだけだからそんなに疲れることないだろう、と思われるかもしれないが脳内はめまぐるしいほど様々な考えが駆け巡っている。

 

「流れ的にはバンカーとプレイヤーどっちもありえる、さてどちらにするか」

「さっき2で勝ち切った人がバンカーに賭けたな、ここはこの人に乗ってみるか」

「随分賭け方が割れたな、やはり皆迷っているな」

「そうだよな、この勝負はどっちに転んでもおかしくないもんな」

「じゃあ、様子見で少し賭け金を下げるか」

「いやいや、最低でも500バーツを割ったら勝ってもやっている意味がないだろ」

「それにしてもPair(ペア 同じカードが2枚出る事)に賭ける人が多いな、控除率が高いのを知ってるのかな」

「この人絞るの(カードをめくる動作)めちゃくちゃ時間掛けるな」

「お、バンカーか、さっきの人に乗って良かった」

「ここはこのままバンカープッシュだな」

 

などと1勝負でも様々な考えが頭の中を駆け巡っている。実際にはもっと色んな事を考えているいるのだがそれをめちゃくちゃ集中した精神状態で何時間か行うので終わった後疲労困憊してしまうのだ。

身体の疲労は肉体だけのものではなく、精神から来る疲労も相当なものだとバカラをやった後分かる。

そして疲れたから寝ようとしても脳内に分泌されたアドレナリンのせいなのかほとんど眠る事が出来ない。

更にその上、昼夜逆転してしまうのも当たり前でバカラは本当に身体に悪い・・・

 

そんなこんなで最初の勝負をした5~6時間後、休んだか休んでないんだか分からない状態でまたバカラのテーブルに着いた。

 

とりあえず2700バーツ浮いているので気持ちは多少楽である。

そんな気持ちで1000バーツずつ賭けているとどうも調子が上がらない。

完全に調子が悪いわけではない。

当たったり外れたりを繰り返しながらジワジワと負けていくのだ。

そして小さく当たって大きく外れる、というか1000バーツを賭けた時に当たって2000バーツの時に外れる、というのが何度か繰り返された。

 

極めつけは賭け間違えた時だ。

 

次はプレイヤーだと思いその通り賭けたところ、案の定プレイヤーが勝ち「よし!」と思ったところ何故だか僕が賭けたお金はバンカーに置いてあった・・・

 

単純に賭け間違えてしまった様だ(泣)

 

頭に血が上ってくるのが分かった。

こんな時は止めなければならない。

頭では分かっているが身体が言う事を聞かない。

そのままズルズルと賭け続け、結局プラス2700バーツから1万バーツ近く減ってマイナス7000バーツのところでこう思った。

 

「ここは一発勝負で一気に逆転するか・・・」

 

アホである。

こんな事を今まで何度も繰り返して、またも同じ事をやろうとしている。

そして案外当たるのではないか、などと本当におめでたい事を実に都合よく頭の中に思い浮かべていた。

 

だがしかし、僕も少しは成長していた様だ。

 

「名誉ある撤退」

 

なぜだか浮かんだのがこの言葉だ。

名誉なんてどこにもありはしない(笑)が、ふっとこの言葉が浮かんだのだ。

しかし、しばらくは心の中で葛藤していた。

 

「こんなところで止めてこの先取り返せるのか?」

「ここは一気に勝負に出て取り返した方がいいんじゃないか?」

「こんなモヤモヤした気持ちで止められるのか?」

「いやいや何度同じ事繰り返すんだ?」

「前にこんな状態になったら絶対止めるって誓っただろ?」

「こんな状態じゃ絶対当たらないって散々経験してきただろ!」

 

結局、天使?の僕が勝つことになった。

一旦、名誉?ある撤退をする事になったのだ。

 

ここから流れが変わります。