(よかったらこの話は「2024年バカラ旅始め①」から読んで下さい)
カオサンは不思議な街である。
タイなのに白人がやたらと多く、パっと見にはタイ人よりも多くいる様に見える。
タイでは白人はファランという。
本当にファランに占拠された街なのだ。
ヨーロッパのカフェではございません(笑)
それにしても彼らは実に余裕がある様に見える。
昼間っからカフェでビールやお茶を飲んで、本を読んだり談笑したり、とても時間を優雅に使い人生を楽しんでいる様に見える。
正直に言うと、僕はいつも彼らを見る度に「勝てないなぁ・・・」と思う。
外見や体格もそうだが、その行動やしぐさなども、何だか「勝てないなぁ・・・」と感じてしまう。
何かの劣等感であろう。
何でだろう?
外見や体格は仕方ないが、ひとつにはアレだ。
休暇に対する考え方も関係あると思う。
日本の休暇に対する考え方はとても貧しい。
短い休暇をみんなで一斉に取ってあっという間に終わる。
3週間程度の休暇を楽しむなんてとんでもない話だし、罪悪であるとすら感じる。
ヨーロッパのバカンス3週間論、というのがあり、まず最初の1週間で日常から離れ、次の1週間で完全にバカンスに染まり、最後の1週間で日常に戻していく、というものである。
日本では下手したら最初の日常から離れる前に休暇が終わっている(笑)
バカンスが完全に文化として生活に根付いた人達と、労働こそ美徳(それはそれで素晴らしいがもう少しバランスがあっても良いと思う)という人達の差ではないだろうか。
休暇の時間に余裕があれば、休暇の内の何日かをこうしてカフェで費やしたとしてもどうってことない。
いや、むしろこうして何もしないゆっくり流れる時間こそ価値がある様に思う。
日本人の中に外国に旅行に行って、ゆったりと1日カフェに時間を費やす事に価値を置く人がどれだけいるだろうか。
何かしなきゃ、何か見なきゃ、と駆けまわる人がほとんどの様な気がする。
その要因のひとつが短い休暇と、バカンスを楽しむという概念が無いからだと思われる。
僕は1987年の大学生の時、初めてタイのプーケットに行って、そこでバカンスを楽しむ白人達を見た時「ああ、日本もこんな風に長い休みが取れて、人生を楽しめる社会になるといいなあ・・・」と心から思ったものだ。
40年近く経って、ついぞそんな社会は現われなかった(笑)
だから仕事をリタイヤする事が楽しみで仕方がない。
バカンスとはちょっと違うが、ずっと終わりを決めない長い旅に憧れていた。
実現する事は出来るだろうか。
そんな時間が本当に訪れるとは信じ難く半信半疑でもある。
これには「お金」「健康」「家族の状況」「世界情勢(コロナや戦争)」などあらゆる要因がマッチして初めて実現する。
しかしその時期は確実に近づいて来てはいる。
何とか実現させたいものである。