旅とバカラと酒と本

旅、時々バカラ・・いや最近はバカラついでに旅という感じか・・・

26年第2回タイ・ラオスバカラ旅⑩バカラについて思う事

(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)

 

前回でついに脱バカラ宣言をしたワタクシ。

およそ10年に渡るバカラとの格闘に敗れ、負け犬の遠吠えとしてその格闘で感じた事を書き残しておきたい。今後(不幸にも?)バカラを始めてしまった人や現在プレイしている人にとって指針の一助になれば幸いである。

ならんか・・・

 

まず最初に感じるのは「バカラは難しい・・・」という事である。

単純であるがゆえに。

入り口は非常に柔和で人当たりがよのだ。

微笑んでさえいる。

バクチでこれだけ簡単に当たり、テラ銭の低いものもないだろう。

(テラ銭とは差っ引かれるお金の事で、昔バクチは寺で隠れて行われた為、その際場所代として寺に払うお金という意味でテラ銭という)

 

2分の1の確率だからそりゃあ当たる。

当たると嬉しい。

嬉しいからもっかい賭ける。

また当たる。

更に賭ける。

またまた当たる。

脳汁が出る。

更に賭けずにはいられない。

↓

ジャンキーの出来上がり。

 

とまぁ、簡単に言うとこういう図式である。

 

この2分の1の確率で当たる、というのが罠なのだ。

バカラはそのゲーム性において技術の要素がない。

技術の要素がない運だけの2分の1は流れが読めないという事である。

 

僕は当初(というか有体に言うと今でもすがる様に)バカラで勝つには自分に流れが来た時にガツンと賭け金を上げ、ツイてない流れの時はぐっと頭を下げて行けばいいんじゃないか、と考えていた。

それこそがバカラの技術であり、その為には自分にツキがある時を知覚出来る事が肝要だと、ずっとその感覚を探し求めていた。

 

自分に間違いなくツキがある、と思える瞬間とはどういう時か。

例えばみっともないケースになるが、僕はたまにバンカーとプレイヤーを間違えて逆に賭けてしまう事がある。

オレはそんな事しねえよ、という方もおられよう。

僕はいろんな要因でたまにそういうミスをしでかす時がある。

そしてそのポンコツぶりが幸運にも神のいたずらで当たったりする事がある。

 

(よし、これはツイてる!)

 

僕は思う。

ここは行かなければ!と。

で、行ってどうなるか。

結果は当たる時もあれば当たらない時もある、という事になる。

当たった時は「やっぱりな」と思うし、当たらなかった時は「なんでなんだよ!」と怒りがわいてくる。

 

結果はいつも「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」である。

これを何度も経験すると中々ガツンと賭けられない事も出てくる。

何か強い思いがないと大きく賭けられないのがバカラである。

なのにその強い思いが当てにならないのだ。

 

これに多少なりとも技術という要素が加われば、流れというものは確実に存在する。

残念ながらバカラには技術の要素は存在しない。

ただ配られたカードをめくるだけである。

 

僕は学生時代に麻雀が割と強かった。

麻雀には運の要素も大きいが技術の要素も確実に存在する。

僕は常に流れというものを考えて麻雀をしていた。

技術という要素のある賭け事は流れが存在するからだ。

ツイている時は強めに行くし、ツイてない時は頭を低く抑える。

しかしバカラにそれは通用しない。

通用している時はそう思い込んでるだけである。

 

そしてバカラの恐ろしいところは賭け金がどんどん大きくなっていく事である。

最初は少額で楽しめても賭け金はやがて少しずつ、そして確実に大きくなっていく。

これは脳がどんどん大きな刺激を求めていく為であろう。

 

日本にカジノがなくて良かったとつくづく思う。

今度大阪に出来るらしいが、これは大変に罪深い所業である。これがパチンコ並みに身近にあったなら日本は破産者だらけの国になっている事は間違いない。

 

現実的な話ではないが、もし無尽蔵にお金があって賭け続ける事が出来れば2分の1で当たるバカラはどんなに負け続けていてもやがて取り戻す事が出来る。

しかしほとんどの人は途中でお金が尽きて負けた状態でその場を去ることになる。

これがバカラで勝てない要因である。

 

恐ろしいことにバカラではバンカーならバンカーが10回、20回、またはそれ以上に連続で出続けることがある。

これはそれだけ当たり続けることもあれば負け続けることもある、ということだ。

実際僕はポイペトで30回近く連続で同じ目が出続けたのを見たことがある。

それが当たり続けるケースならいいが、逆に負け続けるケースならそれに耐えられる人はいないであろう。

こうして人はバカラから去っていくのである。

 

そして困ったことにバカラは極めて面白い。

負けてまで次の勝負を考えてしまうほど面白い。

こんなに夢中になれることは中々ない。

罪深いバクチだと心から思う。

 

そして僕はこの度バカラから退くのである。

もとよりたいしたバカラーではない。

ミニマムベットの、とことん突き詰める所まで行けない小物賭人である。

 

でも何か少し寂しい。

あれだけ夢中になって、でも負けて、勝てないことを自覚させられた。

無念である。

(でも、今ももう少し何とかなるんではないか・・・という思いもくすぶっている)

だが老後の旅資金確保の為には仕方がない。

ここはおとなしくするのである。

 

それではみなさんサヨウナラ・・・

 

 

 

 

26年第2回タイ・ラオスバカラ旅⑨ST VEGASカジノ 其の2

(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)

 

様子見のつもりでカジノに行き、本来なら6万円勝っていたところが逆に6万円以上マイナスになり、茫然としたままバスに乗ってホテルに帰ったワタクシ。

心がすさんだまま何とか気を紛らわそうと夕食は屋台街に繰り出す事にした。

ビエンチャンの屋台街

場所はこの辺りである。

通りに沢山の食べ物屋台が出ているので行けば分かると思う。

ちなみにそんなに安くはない。が、高くもない。

ビアラオと焼飯と焼きそばで一杯

焼飯を東南アジア各地で食べて思うのは、同じ様な料理であるにも関わらずタイやカンボジア、ラオスなどで美味しさに差がある点だ。

一番美味しいのはタイで、カンボジアは同じ焼飯と言えども微妙に不味い店が多い。

ラオスもあんまり美味くない。(あくまで個人の感想です)

タイではそんなに外れはない。

何が違うのだろうか。

コメなのか野菜なのか味付けなのか?

よく分からないが、僕は東南アジアでは「メシに困ったら焼飯を食え」と考えているので微妙に不味いのに当たると何だか悔しい。焼飯なのに何で不味いんだよ、と。

蛇足だがタイで焼飯を頼むと、たまにトマトが入った焼飯が出る時があるが皆さんあれはどーなんですか?(まあ、食うんですけどね)

酢豚にパイナップルが入っている時の様な、ビミョーに(あらーっ)と感じてしまうんですが。まあ好きな人がいるから出されるんだろうけど。

 

閑話休題

 

ところで、ラオスも経済発展しているのだろう。

帰り道に何だか若者で賑わっているバーみたいな所があり、その店先に何とフェラーリとランボルギーニが停めてあった。

 

ラオスとランボルギーニ

 

うーむ ワカメにワンレグ、カツオにツーブロックといったところか?

いや、なんか違うな。

上手い例えが思い浮かばないが何年も前で止まっている僕のラオスの印象からするとムズムズする様な違和感である。

ここはラオスの六本木なのか?

 

 

さて、バカラである。

翌日リベンジすべくまたカジノに向かった。

負けて落ち込んだ翌日、しっかり取り戻せることはバカラではよくある。

基本的に2分の1での勝率なのでそうなってもおかしくはない。

しかしカジノに向かうバスの中でぼんやり窓の外を眺めながら

 

(なんか負けそうなんだよなぁ)

 

そういう思いが拭えなかった。

で、負けた(笑)

いや、笑いごとではない。

昨日と合わせて14万円も・・・(涙)

老後の旅資金があああぁぁぁ・・・(大粒涙)

 

 

そしてワタクシは今ここに脱バカラ宣言をするのであります

 

 

10年ほどバカラと格闘してきましたが、力ここに及ばず我が巨人軍は永久に不滅です。

 

もう本当にやめます

やめるんだからね

やめちゃうよ

でもたまにはいいかな・・・

ほんのたまに

いやいやだめだめだめだめ

こんなんじゃ老後の資金がなくなるっつーの

でもほんの少しくらいならどう?

だめだっつーの

 

という事で基本的にはやめましたがもしかしたらポイペトくらいは行くかもしれません→→→これを世間一般ではやめてないというのかもしれない

 

幸い現在タイとカンボジアの陸路での国境は閉鎖されておりますので、やめたというのもあながちウソではありません。永久に閉鎖なら永久にやめたと言えます(詭弁)

 

これからは健全に普通の旅に勤しんでいきたいと考えております。

以上現場からお伝え致しました。

 

26年第2回タイ・ラオスバカラ旅⑧ST VEGASカジノ 其の1

(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)

 

ラオスの建物らしからぬ、一見ゴージャスで金ピカなのがST VEGASである。

張りぼて感満載の金ピカST VEGASカジノ

ここはタイのノンカイから国境であるタイ・ラオス友好橋を渡ってすぐの所にあり、以前にも書いたがイミグレーションも併設し、タイからのギャンブラー達を待たせることなく入国させてサクっとカジノ内の送り込むことが出来る構造となっている。

 

(今日は初日だから何だったら賭けずに様子だけ見て帰ろう・・・)

 

まずはカジノ内を見て廻った。

1階と2階があり、1階のバカラ卓は100バーツから賭ける事が出来るが、これは1卓しかなかった。

あとは500と1000バーツ卓で、メインは1000バーツ卓である。

驚いたことに平日であるにも関わらずほぼ満卓で、ひといきれする状態であった。

 

(こんなタイの田舎まで行って、その上国境を越えてまでよく来るよなぁ・・・どんだけもの好きなんだよ・・・)

 

 

・・・はうっ!?

考えてみれば、僕は日本から飛行機に乗ってわざわざ来ているのであり、更なる超絶もの好きという事になるのだろうか・・・・・気付かんかった・・・

 

2階に上がってみると、そこはミニマムベット(最低賭け金)が3000バーツ(約15000円、当時1バーツ4.93円)からで、にも関わらず十数卓あるテーブルは全て満卓であった。

 

(金持ってるなぁ、タイ人・・・)

 

そんな事を考えながら歩いているとバンカーの勝ちが8連続という、いわゆるバンツラ(バンカー勝ちの連目)の卓を発見した。

 

その瞬間、様子見なんて言葉は吹っ飛び、考えるより先に3000バーツの紙幣をテーブルに放り投げていた・・・

 

しかしここはチップを先に買わないといけないらしく、ディーラーに「ノー」と言われたが卓に座っていた女性が自分のチップと紙幣を交換してくれた。

その女性がこのバンツラの張本人で、気風のいい如何にも「鉄火場の女」という感じの女性であった。

 

僕は立ち見で勝負を見守った。

女性は「5」と良くなかったがプレイヤーは「0」で見事勝利。

3000バーツをゲットした。

 

ここで自分でもその時の心理がよく分からないのだが、思わず手にした3000バーツが何だか惜しくなり、本来なら押せ押せで賭け続けないといけない展開なのに、次の勝負を見(ケン)をしてしまったのである・・・

 

1年ぶりのバカラでいつもの調子ではなかった事もあろう。

元々様子見で、賭けるつもりがあまり無かった事もあろう。

思わぬお金を手にして(これで充分だ)と思ってしまった事もあろう。

何となく連勝が止まる様な気もしてしまったのである・・・

 

しかし次の勝負もバンカーの勝利だった。

そしてその次も・・・

 

カーと血が頭に上ったのが分かった。

次の勝負では思わず持っていた3000バーツのチップを今更ながらバンカーに賭けた。

すると幸運な事にその勝負はまたしてもバンカーの勝ちであった。

これで6000バーツの勝ち。

日本円では約30000円の勝ちとなった。

様子見としては充分である。

 

そして次の勝負では何と1000バーツだけ賭ける事に・・・

やっている事が見事にちぐはぐである。

 

1000バーツは最低ベットに届かないのでこの女性のチップに乗せて賭けさせてもらった。

普段こういう賭け方をした事はない。

何故こんな事をしたのだろうか?

自分でもよく分からない。

おそらく賭ける覚悟がないまま賭け続けていたのだと思う。

自分は今日は様子見だ、という感じで・・・

自分でも信じられないほどやっている事が中途半端であった。

 

その勝負もバンカーの勝ちであった。

しかし、当たったのに嬉しくなかった。

これで7000バーツの勝ち。

 

そして次の勝負ではまた3000バーツに戻して賭ける事に。

一体どうゆう賭け方をしているのか。

そしてその勝負は外してしまった・・・

 

金額的にはそれでも4000バーツのプラス。

決して悪くない。

しかしツキを無駄にして無駄にして無駄にしての4000バーツ。

こんな流れが良いわけがない。

普通に賭け続けていればその時点で12000バーツ(約6万円)のプラスだ。

 

そこで止めていればまだ良かったが、1階に降りてまた賭け続けた。

そこからは推して知るべし、である。

ほとんどの勝負が裏目裏目で気が付くと逆に6万円以上負けていた。

 

何とかそこで思い留まったが、もう唖然、茫然、愕然である・・・

僕はふらふらしながらカジノを出て、後悔と怒りと悲しみと虚しさと共にバスに乗った。

 

(何でこんな思いをしながら旅をしているんだろう・・・)

 

以前にもこんな事をチラッと考えた事はあったが、今回は強くそう思った・・・

 

 

 

 

26年第2回タイ・ラオスバカラ旅⑦ビエンチャンという町

(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)

 

国境からバスが到着する場所はタラートサオ・バスターミナルとなる。

この辺りはビエンチャンの中心地のひとつで、市場というかショッピングモールというか大きな商業施設がある。

タラートサオの大きな商業施設

その隣にある中華料理屋台街 ラオスは中国の影響が大きい

僕が初めてラオスに来たのは2000年だったが、その頃ビエンチャンは「世界一田舎の首都」などと揶揄されており、実際当時は車もあんまり走っておらず、信号機もほとんど見かけず、舗道されてない道路が多い実にのんびりした町だった。

 

当時は今と違って日本円が強く、使いでがあったので折角だからフランス料理でも食うかと(今の僕では考えられないが)一軒家のフランス料理店に入り、コースを注文した。

ラオスはフランスに支配された過去があり、フランスパンなども普及しており当然フランス料理もいけるだろうとの読みで入ったのであるが、それはそれは酷い料理が出てきた(笑)

メインの肉はカチカチでうま味など皆無で、アグアグとあごが疲れるほどに噛み砕いてただひたすらに胃の中に送り込む作業を続けたのであった。

スープも何だか間の抜けた水っぽい味で、パンだけは何とかまともであった記憶がある。

僕の初めてのラオス旅はもう26年も前だった事もあるが、記憶に残っているのはそれくらいでほとんど何も残っていない。

 

12年前はバックパッカーの聖地などと言われるバンビエンに行く為に2度目のラオスとなったのだが、ここもまあそれなりの町ではあったが、もう一度行くか?と言われたら「う~ん」という感じで、僕のラオスの印象はどうもあんまり芳しくないのである。

まあ旅先の土地というのは合う合わないがあるものなので、こののんびりしたラオスが最高だ、という人がいても全くおかしくないし否定する気は全くない。

 

しかしそんな印象のラオスに何でまた来たのかと言われたら、登山家が「そこに山があったから」と答えた様に、僕はただ「そこにカジノがあったから」と答えるのみ。わが人生に悔いなし(キリッ)。

 

 

ホテルはタラートサオバスターミナルから歩ける所が良かろうと、徒歩7~8分のホアン・キムホテルという所にした。

 

狭いが清潔

トイレ・ホットシャワー・エアコン付き

お値段は1泊2800円ほど。

ここの宿の良いところは朝食が付く点が挙げられる。

そんなに品数があるわけでも美味いわけでもないがバイキング形式で好きなものを取って食べる事が出来る。

朝食のバイキング

朝からガッツリ

また使わなかったがレンタル自転車も無料である。

実は当初はレンタル自転車でカジノまで行こうかなんて考えていたが、国境からタラートサオまでの道中をバスの中から見ているうちに

 

(いやいやいやいや、無理無理無理無理・・・)

 

と自分の考えの無謀さに恐れおののき急遽中止することに。

遠いわ、危険だわ、雨はよく降るわで到底自転車で行くのは無理だと思い直した。

考えてみれば近所のパチンコ屋に行くんじゃないんだからカジノに自転車で乗り付けるギャンブラーって俺ぐらいか・・・

 

(第一自転車ってカジノのどこに置いたらいーんだよ!?)

 

いや、そういう問題ではない・・・

そもそもカジノに自転車で乗り付けたら警備のおっさんが面食らうっつーの。

危うく国際的に日本の恥をさらけ出すとこだった、、、ふ~~。

 

そしてチェックインしてしばらくすると

 

(何となく様子だけ見に行こうかにゃ~💛)

 

とむずむずし出し(様子だけ、様子だけ)と思いながら、早速さっき来た道をバスで戻り、国境沿いにあるST VEGASカジノに向かったのであった。

 

あの時の俺に罰を与えたい・・・

26年第2回タイ・ラオスバカラ旅⑥タイ・ラオス国境越え 其の2

(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)

 

12年ぶりのノンカイからビエンチャンの国境越えで、3回目だとは言え流れをよく覚えてなかったので同じ目的地に向かうこのご婦人達と一緒というのは心強かった。

 

タクシーを国境の建物の前で降ろされ、料金の250バーツを渡すと10バーツのお釣りが来た。正確には240バーツだったのである。(当時1バーツ4.93円)

 

ちなみにウドンターニーのバスターミナルからビエンチャンまではバスで80バーツとネットに出ていた。空港からバスターミナルまでタクシーだと100バーツは最低でも取られるだろうし、バスは2~3時間に1本しかないから効率を考えたら多少高付いたがこの方法は悪くなかったかもしれない。

タイ側の出国管理事務所の建物

ここからは陸路でのタイ・ラオス間の国境越えを詳しく解説していきたいと思う。

 

まずはタイ側であるノンカイの出国管理事務所にて出国手続きをする。

これはパスポートを出すだけで終了。あっさり出国出来る。

そして事務所を出た所にある、メコン川(国境)を渡る為のバスのチケット売り場にて30バーツで乗車券を購入する。

バスのチケット売り場 30バーツ

国境であるメコン川は広い。

バスに乗らないと大変である。

すると驚いた事に、ご婦人達が僕のチケットまで買って待っていてくれたのである。

お金を払おうとすると

 

「いいのよ、たった30バーツだわ」

 

と言って受け取ってくれない。

確かに30バーツは大金ではないがこういう親切は地味に嬉しい。

僕はそのご厚意を有り難く頂戴することにした。

なんか粋なのである。このご婦人方は。

 

ここの国境越えはタイとカンボジアの国境であるアランヤプラテートとポイペトに比べたら随分とロマンがある。

タイとカンボジアの国境越えは投棄されたゴミだらけの小川を超えるだけで、ものの数秒で過ぎてしまうが、このタイとラオスを分ける国境であるメコンは雨期でもあり滔々とたゆたう大河である。

そこに架かるタイ・ラオス友好橋は長さ1.2キロにも達し、バスから眺めるその景色は雄大である。

タイ・ラオスを分ける母なるメコン

橋の途中でタイとラオスの国旗が両方並んでいる所がある。

おそらくそこが国境なのであろう。

タイとラオス国境 両国の旗が並んでいる

海洋国家である日本人はなかなか国境を目にする事はないが、こうやって国境を目の当たりに出来るのは陸続きの国ならではであろう。

 

しかしここで正直に申し上げなければいけない。

実際のところ僕はそんなにも感動しなかったのである。

こんな事を書き連ねながら、ウソをついてる様で申し訳ないけれど。

おそらくはこれまでの幾度もの旅によって好奇心や感動する心が擦れ切って摩耗してあんまり残ってないのだと思う。残念だけど。

これが10代や20代前半の、まだ全てが新鮮で輝いて見えた頃だったらどんなに感動しただろうか。

 

自分の力で国境を越えてメコンを眺める。

 

それはそれは素晴らしい体験であった事と思う。心に突き刺さり大いに記憶に残った事だろう。

だがもうそんな時代はとっくに過ぎてしまった様だ。悲しいけれど。

 

なんかちょっと感傷的になってしまった様だ。

こんな事書くつもりは全くなかったのに。

ブログを書いていると話が自分でも全く予期せぬ方向に行ってしまう事がよくある。

失礼しました。

 

話を戻すと、橋を渡りバスを降ろされた所にラオスの入国管理事務所がある。

ラオスの入国管理事務所

ここで入国手続きをするのだが、昔ながらの紙の用紙に記入するタイプである。

そしてここで特筆すべき情報がある。

実はすぐそばにST VEGASというカジノがあるのだが、ここの入口にも入国管理事務所があり、ここでも入国手続きが出来るのである。

カジノ(ST VEGAS)入口にあるイミグレーション

歩いてすぐだし、全く混んでないのでこちらの方がお勧めである。

ぐるっと回りを見渡せばカジノが見えるのでそちらに行けばすぐに分かる。

カジノ(ST VEGAS)

ここでご婦人方とお別れした。

僕はこのままビエンチャン中心部に向かうし、彼女達はこのままカジノで勝負する。

大変お世話になりました。

健闘を祈ります。グッドラック。

 

入国管理事務所から少し歩くとこういうバスが止まっている。

ビエンチャン中心部タラートサオ行きのバス

日本から寄贈したバス 12年前もこのバスに乗った

バスの番号は14番。まあこれしかバスは止まってないので間違える事はない。

料金は40バーツ。この辺はタイバーツが使える。

ラオスの通貨だと25000キープ。

キープの方が若干安い。

僕は面倒なので両替しなかった。

このバスは日本から寄贈したものである。

12年前に来た時も外見は全く同じこのバスだった。

ここから中心部のタラートサオまでは大体35~40分。

 

こうして無事ラオスに入国して宿に向かう事が出来たのである。

26年第2回タイ・ラオスバカラ旅⑤タイ・ラオス国境越え 其の1

(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)

 

スワンナプーム空港からウドンターニーまではおよそ1時間ほどのフライトである。

ウドンターニー空港 インターナショナルなのか?

ウドンターニー空港に到着したものの、ここから先は全く分からない。

空港内をぐるっと周ってみてノンカイ(ラオスとの国境の町)行きのバスでもあればそれに乗ろうと思っていたが、到着口を出るとインフォメーションがあったので手っ取り早くそこでサクっと訊いてみる事にした。

 

するとタクシーしかないと言うではないか。

 

(おおまいがー・・・)

 

そんなの金が掛かり過ぎてイヤら。

 

じゃあ、市内のバスターミナルまでのソンテウ(乗合バス)は?と訊いてみると

 

「ありません、タクシーだけです」

 

マジかー。こりゃ地元業者達が結託しとるな。安く移動させない様に・・・

 

がっかりしている僕を見て、案内所のもうひとりの女性が

 

「タクシーでも乗合なら250バーツでノンカイまで行けますよ」と言うではないか。

 

おお!それは助かる。

女性曰く、3人集まれば250バーツで行けるらしい。

しかし飛行機の中は外国人らしき人は皆無だったし、空港からタクシー飛ばしてノンカイまで行く酔狂な人なんているのだろうか?

 

(こりゃあ相当待たされるかもなぁ)

 

そう思いながら案内所の女性が指さす方へ行くと、おっちゃんに「ノンカイか?」と訊かれ「そうだ」と答えると「ここで待っていろ」とステイを命じられた。

 

(一体いつまで待つんだろ)

 

なんて事を考えているとあっさり現れたのだ、同乗人が。

 

しかも何か品のあるご婦人がふたり。歳の頃なら67~8か?

 

(え~こんなことある~?)

 

そう思いながらもラッキーっと思わず心の中でガッツポーズ。

とりあえず良かった。

 

空港の駐車場に停めてある車に乗り込み、ノンカイまでノンストップで走り出した。

ノンカイまではおよそ1時間ほどらしい。

それにしてもこのご婦人方は何故ノンカイまで行くのだろうか?

里帰りか?

それにしては失礼ながらノンカイあたりの人としては品があり過ぎる様な・・・

 

 

やがてその理由が判明した。

 

 

何とこのご婦人方はラオス側の国境の町にあるカジノに行こうとしていたのである!

 

いや、ホントびっくりである。

な~んか品があるふたりだと思っていたんだよなぁ。

おそらくタイのある程度のお金持ちである。

よく行くカンボジアのポイペトのカジノでもこうゆうご婦人をちょくちょく見掛ける。

品があって余裕があってちょっと優雅な感じ。

 

僕の今回の旅の目的であるカジノはタイとラオスの国境にあり、名前を「ST VEGAS」というのだが、なんで遠い遠いラオスくんだりまでわざわざやって来たかというと、現在タイとカンボジアは領土紛争の真っただ中にあり、陸路での通行を停止している為だ。

つまり、国境を陸路で越えてすぐ傍にあるポイペトのカジノに行けなくなってしまったからなのである。

このご婦人方も同じである。

普段はバンコクから比較的近い(近いといってもバスで4~5時間)ポイペトでのカジノを楽しんでいたが、国境閉鎖で仕方なくラオスまで来たのであろう。

訊いてみるとやっぱりそうだった。

タクシーでのタイ語での会話の中に「ビエンチャン」とか「カジノ」とか出てくるので「あれっ?」と思って訊いてみるとそういう事だったのである。

 

いや~ご同輩だったとは!

 

(な~んかこの旅はツイてるにゃ~💛)

なんて間抜けにも考えていたがそうは問屋が卸さなかった・・・

 

26年第2回タイ・ラオスバカラ旅④バンコク電車の始発時間

BTSプラカノン駅


(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)

 

今日はタイとラオス間の陸路での国境超えである。

 

本来お金があればバンコクからビエンチャンまで飛行機でひとっ飛び、というのが手っ取り早いのであるが、なにせ値段が高い。

安く行こうとすれば鉄道が極めて安いが時間と体力が必要となる。

2000年に初めてラオスに行った時はバンコクから各駅停車で国境の町のノンカイまで行き、そこで1泊して国境を越えたがなにせ遠かった。

バンコクを早朝出発してノンカイに着いたのが夕方だったのだが、着いた頃にはぐったりしてしまった。

最初は見慣れないタイの農村の景色など見て楽しんでいたが、基本的にそんなに変わらない景色を見続けていると段々と飽きてくるし体力を削られてかなりキツくなってくる。

退職したとはいえ一応働いている身としては、気力、体力、お金、時間、旅の醍醐味などを考慮して飛行機とバスを組み合わせて行く事にした。

タイは国内線の飛行機は意外と安い。なのでなるべく国境に近い町で空港のあるウドンターニーまで飛行機で行き、そこからバスで移動しようと考えた。

2014年にもウドンターニーまで飛行機で行き、そこからラオスに入った事があるが、情けない事に空港からどうやって行ったかさっぱり覚えていない。

 

ネットを検索するとウドンターニー空港から国境の町であるノンカイまでのバスがあるとか、ウドンターニーの街中にあるバスターミナルまで移動して、そこから国際バスに乗らないといけないとか情報が錯綜していて、よく分からない。

これに限らずコロナ前とコロナ後では色々と変化が起こっているのだ。

まあ行けば何とかなるだろうと、取り合えずウドンターニーまで行く事にした。

 

飛行機はベトジェット航空。

タイの国内線も飛ばしていたのね。知らなかった。

これは確かベトナムの航空会社のはずだがタイの国内線も飛ばしていいんだ。

ちなみに料金は5300円ほど。

 

出発は8:30なので朝は時間があまりない。

タイ国内線は出発1時間前にはチェックインしないといけないはずだから、少なくとも7:30には空港に到着していないといけない。

いや、7:30ではギリギリ過ぎる。

今回の便はスワンナプーム空港出発。

スワンナプーム空港は巨大である。

移動も含めたら遅くとも7時には到着しておきたいところである。

そんなのタクシー飛ばせば簡単じゃん?・・・そんな金ないんだよ!!(唐突切れ)

円高金満日本万歳の時代であれば僕もタクシーでサクッと移動していたであろうがここは公共機関を利用して移動したい。

 

しかしそこで立ちはだかるのがタイの電車の始発時間である。

割と遅くて6時頃だった記憶があるのだ。

だがチャットGPTに聞いてみるとBTS(高架鉄道)プラカノン駅の始発は5:30頃、地下鉄スクンビット駅の始発は6時頃だという。

あら、BTSに関しては意外と遅くなかったのね。

しかし時刻表など無いのでその時間が正確なのかどうなのかは分からない。

 

プラカノンから空港まではBTS→地下鉄→エアポートレールリンクという流れになる。

エアポートレールリンクの乗車時間は大体30分くらいだからこれなら何とか電車で間に合うはずである。

 

当日プラカノン駅へはちょっと早めの5時過ぎに来てみると5:30頃といっていた列車は5:16に来て無事乗る事が出来た。

BTSアソーク駅で降り、5時半頃地下鉄スクンビット駅まで歩いて移動したところ、まだ地下鉄の鉄格子が降りていて入れない状態であった。まあ6時始発とのことだったからしょうがない。

しかし5:40頃ガラガラと鉄格子が上がり入ることが出来て5:46の列車に乗ることが出来た。

地下鉄は一駅だけなので、そこからエアポートレールリンクのマッカサン駅まで歩き、しばらく待っていると列車が来て、7時より大分前にスワンナプーム空港に到着したのである。

パチパチパチ。

 

(次回に続きます)

 

26年第2回タイ・ラオスバカラ旅③プラカノンのT

(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)

 

ホテルにチェックインした後、プラカノン駅前にある豪華ホテルのロビーでTと待ち合わせした。Tはここに暮らしているのである。

 

Tと会うのは5月末に一時帰国していた時に新宿で飲んで以来3ヶ月ぶりであったが相変わらずひょうひょうとした雰囲気を醸し出している。

この男とは学生時代からの長い付き合いであるが、昔から自分を飾るという事を知らない。

つまりどうゆう事かと言うと、見栄を張るとか偉そうにするとか自分を大きく見せようとか、そういった少なからず普通の人間が持ちがちな煩悩からは無縁の男なのである。おそらく生まれた時からそれらの気持ちを持ち合わせていないのではあるまいか?

僕は彼のそういうところが好きなのだが、残念ながらその自分を飾らない気質は奴の服装にまで表れており、服の着こなしのセンスというものが1ミリもなくミジンコ以下である。

当日現れた際の服装も、タイでよく見るヒラヒラの生地でゾウの絵柄が入っている様なピッピーパンツにスリッポンのスエード調の割としっかりしたシューズの組み合わせである。靴下まで履いていたと思う。

この時点でかなりヤバい事がうかがい知れる。

ラフもラフ、極めつけにラフなヒッピーパンツにしっかりした高そうなシューズ。本来ならここは同じ様にラフなサンダル系の足元でまとめたいところである。

 

更に上半身は襟のついた、ズボンの中に入れるタイプの割と上品なシャツをヒッピーパンツに合わせている。

やはりここはTシャツか、襟付きならばせめてポロシャツの、ズボンの外に出すタイプが望ましい。

極めつけはオマケでもらってきた様な安っぽいウエストポーチ風なのを、たすき掛けにして登場である。

これが新宿であれば2メートルは離れて歩きたいところであるが、ここは何でもありのバンコクである。マイペンライ。

 

Tは相当に優秀な奴で頭も良いが服装のセンスは胎内に置き忘れ、見た目は隙だらけで僕がスリだったら真っ先に彼を狙うだろう。

 

天は人に二物を与えず。

 

まあ、これでTが服装のセンスまでいい様な隙のない男だったら近寄りがたくておそらくこんなに長く付き合ってはいないだろう。だからこれでいいのである。

 

Tとは駅前にある恵比須という居酒屋で飲んだ。

タイに何軒もある居酒屋 恵比須

最近タイで日本食を食べようとすると非常に高いのである。下手すれば日本よりも高くなっている。

なので僕はこの頃タイにいくと極力タイ料理を食べる様に原点回帰しているが、ちなみにここの瓶ビールは149バーツ。

日本円に直すと当時のレートで735円ほど。

ここは割と安い方なので日本並みか?

 

以前、コロナ前であれば日本の居酒屋といえば客の多くが日本人であったが、店内は外国人の方が多かった。駅前のお店という事もあるだろうが外国人でも気軽に食べれるほど日本食が浸透し、また日本円が安くなったという事だろう。

ここではTのタイでの近況やとりとめのない話をしてホテルに戻った。

 

今回のホテルは駅前にあるNine Plus Loft(ナイン・プラス・ロフト)

 

AGODAで返金不可の条件で2300円程の安宿である。

Tと会うのに近い方が楽だろうと選んだ宿だったが、まあ値段なりの所である。しかし駅1~2分くらいなのは良かった。

ナイン・プラス・ロフトの室内

ベランダ付き 利用はしなかったが朝コーヒーなど飲むには良さそう

この辺はミヤンマー人が多く、ここの従業員もミヤンマー人だった。

 

明日は早朝から飛行機でウドンターニーまで移動し、そこから陸路でラオスのビエンチャンまで国境超えの旅になる。

旅の疲れもあって初日は早々に眠ることにした。

アディオス。

26年第2回タイ・ラオスバカラ旅②スワンナプーム空港

(よかったらこの話は1話から読んでみて下さい)

 

成田からバンコクまでの時間はいつもながら長い。およそ7時間である。

僕の場合どれだけ寝れるか、またはどれだけ本に没頭出来るかがフライト中の快適さを左右する事になる。

なので下の写真の様なネックサポーターは必須アイテムである。

僕にとって快適に眠る為の必須アイテムであるネックサポーター

飛行機の中でよく目にする空気で膨らませるU字型のネックピローは、僕にとって何の役のにも立たない。

何故ならあの形はあごの下が何も無いからだ。

僕の場合眠っている時は頭があごの方向にガクンと落ちるのだが、あの形では支えるものが何も無く、そのガクンで目が覚めるのだ。

また空気の場合、離陸前に膨らませたネックピローは気圧の関係で上空に行った場合膨らみ過ぎるし、飛行中膨らませたそれは下降したときはペチャンコになったりと形が変化するので空気で膨らませるタイプではない方がいいと思う。

アマゾンとかでネックサポーターで検索すると1000円位からあるのでお勧めである。

 

ちなみに航空会社が表示する、7時間という飛行時間はどこからどこまでを指すかご存じだろうか?

これは飛行機がノロノロとターミナルを離れた瞬間から、目的地の空港に着陸しノロノロとターミナルに到着するまでの時間をいうそうです。なので純粋な飛行時間ではないみたいです(旅行豆知識)。

 

ちなみに今回の旅のお供に選んだ本「いい加減にしろ韓国」が大変面白く、かなりの時間集中出来て時間をうっちゃる事が出来た。これは30年以上前に出た古い本であるが、以前読んで面白かったので今回たまたま古本屋で見つけたので持って行く事にしたが正解だった。

日本統治時代を生きた韓国人が史実に基づき、戦後の歪んだ韓国の反日教育を正す内容なのだが、もうこんな真実を知っている韓国人もいない為、大変貴重な本だと感じた。がしかし、その後の30余年を見ても何にも変わってないので残念ながらこのまま変わらないのであろうと思う。

 

 

閑話休題

 

 

ようやくバンコクに到着である。

今回乗ったタイ・ベトジェットエアはLCCでありながらドンムアン空港ではなく、スワンナプーム空港発着であった。

スワンナプーム空港であれば両替はエアポートレールリンク乗り場の近くの両替所一択である。

まあ、周知の事実とは思うが空港内の両替レートは酷い。

これを詐欺、イカサマ、ぼったくり、犯罪行為と言わずして何と言おう。

何も知らない不慣れな旅行者からお金を公然とふんだくろうとしている行為である。

いや、大げさではないのである。

空港内の両替レート 1万円が1768バーツ

エアポートレールリンク乗り場横の両替レート 1万円が2030バーツ

上の写真を見てもらえれば分かるが空港内のレートは1万円が1768バーツとなっている。そしてエアポートレールリンク乗り場横の両替所では2030バーツ。差額は262バーツとなる。

262バーツは当時のレート、1バーツ4・93円で計算すると1292円である。

つまり両替所を間違うと1万円両替する毎に1300円近い金を失うというぼったくりシステム!

僕は今回18万円両替したが、これだと23256円の損失となる。

なのでバンコクでは間違っても空港内で両替してはいけない、というお話でした。

まあこんな話、今更だとは思いますが。

エアポートレールリンク傍の両替所 写真は「スーパーリッチ」だがその他の両替所も全てレートは同じなので空いてる所で両替すればいい

 

 

 

ちなみにエアポートレールリンクに向かう途中の地下階に「MAGIC」というレストランがある。

空港で食べるならここ一択

ここは元々は空港職員用の食堂だったと聞いた事があるが、一般の人も利用出来るレストランで空港内のバカ高いレストランと違い、非常に良心的な価格の店である。

メニュー例 カオパットやガパオが60バーツから

 

メニュー例 

写真を見れば分かるがカオパット(焼き飯)やガパオが60バーツからと空港とは思えない良心的な価格である。ドンムアン空港にもあるので空港で食事する事になったらここがお勧めである。

 

最近はドンムアン空港の利用が多かったし、スワンナプーム空港からはバスで移動していたのでエアポートレールリンクを利用するのは久しぶりだ。

空港からマッカサン駅まで35バーツ。そこから地下鉄でスクンビットまで行ったが地下鉄のスイカ的なプリペイドカードが使えなくなっていた。

(そういやそんな事ネットで読んだな)と思い出しVISAのカードをタッチすると改札ゲートが開く様になっていた。これだといくら使ったかメモしておかないと旅の費用が計算しにくいなぁ、なんて考えていたがその後もメモをとる事はなかった(笑)。

その後BTSに乗り換えてプラカノンの宿までたどり着いたが、自宅を出てから既に13時間以上が経過していた。

移動のみでの13時間は結構長い。

タイは近いという人もいるが行くのは大変であると個人的には思う。

 

そしてようやくTとの再会である。

 

26年第2回タイ・ラオスバカラ旅①バンコクへ

成田からバンコクへ 

 

(この旅は8/26から9/3までの9日間の旅の記録です)

 

実に久し振りの投稿である。

今年に入りホルムズ海峡閉鎖の影響か航空券代が高騰し、気軽に旅に出るのが難しくなってしまった。

LCCであろうと当たり前の様にバンコクまで6万円だの7万円だのとする様になってしまったのだ。コロナ前の往復2万円くらいだったのが本当に懐かしい。

1月にタイに旅行して以来、海外には全く行ってなかったのだが、夏前になっても価格が下がらず、今回は行くのを止めようかと思っていたのだ。

もともと日本が夏の時期、タイは雨期で天候が良くない。日本が寒い時に暑いタイに行くのはめちゃめちゃテンションが上がって楽しいのだが、日本が暑い時期に暑いタイに行くのは最近どうもテンションが上がらない。

そんな事で、もう20年以上毎年夏もタイに行っていたのを中止しようと思っていた6月初旬、たまたま見たYouTubeでバンコク往復航空券を42000円でゲットした、という内容のものがあった。

 

(えっ そんな安いのある?)

 

そう思ってスカイスキャナーを見てみるとあったのだ。

タイ・ベトジェット航空のチケットで、何と4万前後のチケットが出ていた。

僕は迷わず飛びついた。価格は往復40926円。

この航空会社は今年の2月から成田・バンコク便を就航させ、おそらくは認知度を高める目的もあり、こんな安いチケットを出していたのではないかと思われる。

時間も朝成田を出て午後2時頃にはバンコクに着き、帰りもバンコクを深夜に出て朝成田に着くという理想的なやつだった。

しかしこの安いチケットはその後あっという間に消えてしまった。

僕の感覚としてだが、安い航空券というのは大体2カ月前くらいに出回る傾向がある様に思う。直前は余ったチケットを叩き売りするかというとさにあらず、全く安くならない。なので出発7~80日前から丹念にチェックしておくのがいいと思う。早すぎる購入も良くない傾向があると思う。

 

今回の初日の宿はBTSのプラカノンにとることにした。

実は1987年に初めてタイに行った時、一緒に行った友人のTが今年の春から3回目のタイ赴任になり、プラカノンのホテル住まいになったからだ。

このTのタイとの縁は深く、30代の頃1回目のタイ赴任をしたのだが、その時に現在にまで至るタイ人の奥さんと出会っている。

その時彼はシーロムの大きな3LDKのマンションにひとりで暮らしていたが、僕も何回か遊びに行って泊めてもらった。

その当時彼はこう言っていた。

 

「俺はトムヤムクンがあればいくらでも飯が食えるね」(得意気)

 

そして現在の彼はこう言っている。

 

「あんなもん(タイ料理)食ってたら早死にするわ!」(吐き捨て)

 

 

一体彼に何があったのか(笑)

現在では自らタイ料理を食べる事はほぼない。

日本から会社の人が来て、仕方なく案内する時くらいである。

 

まあ、確かにタイ料理というのは塩分高め、糖分多め、化学調味料多め、農薬心配、香辛料強めと刺激的な料理が多い傾向がある。胃に優しい日本料理とは随分違う。

それにしたってこの変わりようは何なのだろうか(笑)

 

彼と一緒に行った初めての海外であるタイへの旅は本当に最高だった。

当時まだ大学生で感覚も瑞々しく、全ての事が新鮮で輝いて見えて感動的であった。

こんなに面白いことはない、心からそう思った。

その時の事はおよそ40年が経った今でも鮮明に思い出され、今でもその時の感動を追い掛ける旅を続けているが、2度と味わう事は出来ない。

やはり若い頃の旅は特別なのだろうと思う。

 

「タイは若いうちに行け」

 

そんなCMが流れたのはそれから何年も経った頃だったが、今から考えても秀逸なセリフだったと思う。

若い頃にタイに行けて幸せだった。

 

そんな彼と夕食を一緒に食べる為に近くの宿をとる事にしたのだ。

 

それでは出発します。