26年タイ・トラブル旅⑮チムチュムを食す
※よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい
プラチュアップキリカンからバンコクに戻る列車は早朝5:12発の列車であった。
これはタイ警察が発行してくれた「財布を落とした間抜けな日本人(僕の事)に列車のチケットを提供してあげなさい」という書類によって得た、善意の切符による列車だったのである。


せっかく頂いたものだから、と、このチケットの列車に乗ったのだが30分以上が過ぎても一向に列車が来なかった。
この列車はマレーシアに近いYALAという所を昨日の夕方4:30に出発している。
およそ800キロも離れた場所からプラチュアップキリカンに向かって来ており、タイでは列車は遅れて当たり前なのである。
45分遅れてようやく列車は到着した。
そして乗ってみて僕は後悔した。
満員なのである。
人々は長い時間乗り続けて疲れ切っており、タイと言えども風の吹く早朝の列車は寒いのであろう、皆フードのついた防寒着やタオルケットなどに包まり寒さをしのいでいた。
ちょっと大げさに言うと、この列車は難民列車みたいであった。
僕はなんとか席を確保し座る事は出来たが、考えてみればプラチュアップキリカン発バンコク行きの列車には、この列車の30分ほど前に、ここが始発の列車があったのだ。
その料金は56バーツ。
その時はバーツを盗まれていたとは言え、その位のバーツはあったので、こんなお金を惜しんで貰ったチケットを優先した為、快適さを無駄にしてしまった。
始発なら時間も待たずに済んだであろうし、空いていたであろう。
何となく嫌な予感はあったのだが、ケチくさい根性が招いた失敗であった。
それでも不思議な事にバンコクにはほぼ定刻に到着した。
到着駅はクルンテープアピワット駅だ。
僕はこの駅を利用するのは初めてである。

趣き深いファランポーン駅と違い、ここクルンテープアピワット駅はまるで日本の駅の様な、広大で近代的な駅である。
僕の定宿があるスティサン地区まではここから地下鉄で1本である。
僕は残り少ないタイでの休日をタイ料理を堪能して過ごす事にした。
チムチュムという料理をご存知だろうか。
チムチュムとはイサン地方の土鍋を使った料理である。
主に豚肉や野菜などをだし汁の中に入れ、火を通した後、少し辛めのタレを付けて食べる。

場所はタイ文化センター駅に近い、ラチャダー通り沿いにある「チュムセープLA」という店である。


料金はセットで200バーツ。
それにチャーンビールとカオニャオ(もち米)も注文した。
こういう鍋料理は自分で調理(という程ではないが・・・)するのが楽しい。
出汁の効いた汁で肉を煮て、少し辛めのタレに付けて食う。
もうビールが進む進む。
何だろう、この幸福感は(笑)
場所柄、車の通りが激しくうるさい。また排気ガスも相当だろう。
でもそんな事全く気にならない。
大体僕は室内よりもこういった外気に触れて食べる方が好きだ。
特にタイでは。

カオニャオがまた美味い。
ここのカオニャオはアツアツで、チョイ辛のタレに付けた豚肉をおかずに、手掴みで食うカオニャオは最高だ。
開高健ではないが「ガッディム!」と思わずつぶやきたくなる。
半分をそのまま食べ、半分を鍋の中にぶち込んだ。
オジヤにするのである。
これがまあ、メチャクチャ美味い(笑)

カオニャオは少し多めに煮込んだ方がいい。
もち米だからだ。
カオニャオが十分に味を吸って、柔らかくなったら食す。
スープはほど良い塩味を帯びており、それまで煮込んだ豚肉や野菜の出汁なども加わり、絶品の味である。
まさに日本の「THE・オジヤ」といった味であり、暑い南国で食す1月のオジヤ。
締めのメシにこれ以上のものはなく、大満足でした。
こうして残り少ないバンコクでの日々は過ぎていった。
日本の冬に来るタイを最高だと感じている僕は、またあと1年月日が流れるのを待たないといけない。
悲しい悲しいサラリーマンの悲哀。
でも、歳をとって振り返った時、あの日々こそが最高の日々だった、と思うのかもしれない。
それとも引退して、冬の間タイに居れる日々の方がやっぱり最高なんだろうか。
それは人生の最後の頃にようやく分かる事だろう。
何はともあれサラバ、タイよ(泣)
26年タイ・トラブル旅⑭プラチュアップキリカンの魅力
※よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい
僕にとってプラチュアップキリカンを端的な言葉で表現するなら「夏祭りの夜の町」といったところだろうか。
少年の頃の、屋台の出ている夏祭りの夜はとても心をワクワクさせるものだ。
楽しくて、ちょっとだけ妖しい。
いや、大人になっても楽しいのは変わらないか。
妖しさは失われてしまうが。
プラチュアップキリカンでは毎日が夏祭りの夜の様である。
特に週末は海岸線沿いに大規模な屋台街が現れ、様々な料理の屋台が出ている。
海辺の町だけあって、イカやエビなどをバーベキューにした屋台も多い。
そこをフラフラと歩くだけで気分が高揚し、少年の頃の夏休みの夜の楽しさを味わう事が出来る。

屋台でツマミを買って、そこらに腰掛け、ビールを飲むのはいいものだ。
この海岸線の屋台街以外にも、警察署の側にも大きな屋台街があり、最後の晩の夕食はそこで摂ることにした。


頼んだのは空心菜炒めと海鮮チャーハン。
この海鮮チャーハンが秀逸であった。
お値段何と50バーツ。

いや、目玉焼きを付けてもらったのでプラス10バーツだったか?
なんにせよ海鮮チャーハン自体は50バーツだった。
これはタイでカオパット(チャーハン)を食べた事のある人なら破格である事が分かるだろう。
タイは海で囲まれているとは言え、海鮮類を頼むと結構高い。
仮にバンコクでカオパットタレー(海鮮チャーハン)を頼んだとしたら安くても100バーツ~150バーツ位はすると思う。下手したらもっと高いだろう。
ここでは驚きの50バーツ。
最初我が目を疑った。
かといってショボいわけではない。
大きなエビが2匹と小さめのイカがぶつ切りにされて丸々1匹入っていた。
このイカが柔らかくて味わい深くとても美味かった。
一切れずつ摘まんで口に放り込み、ビールのツマミにしたらとても良かった。

僕はこういう時間に無常の喜びを感じるタイプだ(笑)
僕の中では旅と酒はセットである。
旅先の安っちいテーブルと椅子に座り、ひとりビールで酔っ払う。
ツマミは食べ物の他に僕の頭の中の記憶である。
酔いが廻って来るにつれ、僕は自分の記憶と対話する。
時々思いもしなかった、頭の隅に置きっぱなしになっていた記憶と遭遇したりする。
忘れ去られていた記憶にひとり笑い、あるいは苦笑し、時に怒り、そして恥じ入る。
自分の過去の記憶は、飲んでいる時の最高の会話相手である。
このひと時を味わう事は、僕の旅に出る大きな要因になっている。
いつか酒を飲めなくなった時、僕の旅は終わるのであろうか。
まだ薄暗かった屋台街がすっかり暗くなっていった。
(この町には何度も来るだろうな)
僕はそんな事を考えていた。
こうしてプラチュアップキリカンの最後の夜は更けていった。
26年タイ・トラブル旅⑬プラチュアップキリカンという町
※よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい
プラチュアップキリカンの海岸通りを夜歩いてみると意外な光景を見る事が出来る。
そこでは外国人や地元の人?達が海岸沿いの歩道にテーブルと椅子を出し、食べ物とワインやビール、ジュースなどを持ち寄って思い思いにくつろいで楽しそうに会話をしている光景が見られる。
(もしかしたらそれは海岸沿いの店が用意したテーブルと椅子で、食べ物も店から注文したものかもしれないが)
僕はそれを見て(いいなあ・・・)と思った。
外国人と思われる人達はほとんどが老齢の方々だ。
ここはリタイヤした、主としてヨーロッパの人達が寒い冬の時期、その寒さから逃れる事を理由に訪れているのだという。
ただし、その数はそんなに多くはない。
失礼ながら、もしかしたら彼らはそんなに裕福な階層の方々ではないのかもしれない。
何故ならもしお金持ちなら、避寒するにはもっと本格的なリゾート地であるプーケットやサムイなど、タイには有名な所がいくらでもあるからだ。
ここプラチュアップキリカンは何もない町である。
しかし、何もないとはどういう事か。
何もないとは高いビルや観光地、混雑した商業施設などがない、という意味ではないのか。
ここに来ている人達にはそんなものは要らないだろう。
ここにはゆったりとした時間と空気、のんびりとした風景、あくせくしていない人々がいる。
何もないとは、都会にはない何かがある、という事でもある。
彼らは人生の楽しみ方を知っている。
「有閑」を楽しむ事にかけては日本人は敵わない気がする。
彼らはただただのんびりするし、食事を楽しみ、会話を楽しむ。
お金をかけなくても、十分人生を楽しむ方法を知っているのだ。


僕はこの町が気に入った。
数年後、引退したら日本の寒い時期に沈没したいと思った。
沈没とは旅用語で、ある程度の長い期間何もしないで一か所に滞在する事である。
ここに親しい友人と訪れるのもいいな、と思った。
ここには長期滞在出来るゲストハウスもあるし、ところによっては共同の調理場もある。防波堤でアジを釣っているのを見たので、釣り竿を持っていって釣った魚を刺身にしてみんなで一杯やったらどんなに楽しいだろうか。

プラチュアップキリカンでの日々はあっという間であった。
3泊4日だから当たり前である。
そのうち1日は前述のトラブルで、あっという間に過ぎ去った(笑)
もっともっと長い旅をしたいものだとつくづく思った。
サラリーマンの悲しい宿命である。
僕は大学を出て就職してから、ずっとずっとこの欲求と格闘してきた気がする。
タイから帰る時にはいつも、(もう終わりかぁ・・・)と悲しみに暮れていた。
ヨーロッパの様に、3週間程度の休暇が取れたらどんなにいいだろうか。
どれだけ人生を豊かに出来るだろうか。
残念ながら日本にはその様な文化も感覚もない気がする。
これからもないのだろう。
まあ、嘆いても仕方がない。
もうすぐである。
老後まで(笑)
しかし簡単に行くとは思えない。
資金、家庭事情、健康、国際環境、もろもろ。
どうなるかは分からない。
1ケ月程度の旅をするのだってどれだけ大変な事か。
何とか達成したいものである(笑)
26年タイ・トラブル旅⑫奇跡、起こる!
※よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい
(前回からの続き)
何とか最悪の状態からは脱したものの、僕の心の中の忸怩とした思いは消えなかった。
(なんて馬鹿な事をやってしまったんだろう・・・)
(どうしてこんなことになってしまったんだろう・・・)
(一体どこで財布を落としたんだろう・・・)
ホテルの部屋に戻り、ひとり悶々としていた。
財布の中にはタイバーツがおよそ1万1千数百バーツ(約6万円)、日本円が7万円、そして米ドルが大体100ドル(約15000円)ほど入っていた。
金額的にも痛すぎる。
僕にとっては大金である。
あ~あ、やだやだ。もうビールでも飲も、っと。
単純でアホウな僕は現実から逃避する為にコンビニでビールを買ってベランダで飲み始めた。


か~ うめ~!!
傷心にビールがしみやがるぜ・・・(泣)
それにしても何故こんな事が起きてしまったのか?
よくテレビやネットで、日本に来た外国人が財布やスマホを無くし、無事戻って来ました!ハラショー!などとやっているが、僕はそれを見て外国でそんな貴重品を簡単に無くすなんてどんだけ間抜けだよ(笑)と思っていた傲慢人間である。
そして今回無事、その間抜け人間に仲間入りする事が出来ました(ハラショー・・・)
考えてみれば、僕は今までに2回コンタクトレンズを無くしているが、両方とも旅先であった。ひとつは草津、もうひとつはハワイで、である。
日常では無くした記憶はないが、何故わざわざ旅に出た時に限ってこんな事が起きてしまうのか?
それは、旅は非日常であるが為に、いつもとは違う行動をするからではないか?
普段人は基本的に同じ行動をしている。
同じ時間に起きて、同じ場所に向かい、同じ場所に帰ってくる。
歯磨きだって、コンタクトレンズを洗うのだって同じ場所で同じ器具を使う。
こういう場合ミスが起きにくいだろう。
しかし旅先ではほとんどが初めての行動である。
いつもとは違う行動、違うリズムがミスを犯し易くするのではないか?
そう気付いて僕はハタと膝を叩いた(ホントは叩いてないっすけどね)
素晴らしい発見をしたが財布が戻って来る事はない(泣)
僕は今後は絶対に旅資金は分散させる事を心に誓ったのであった。
ところで、夕食は「富士山」でとりたかったのだが、富士山で借りたお金で富士山でメシを食う、というのも人としてどうか、と思い直し他で食う事にした。
どこで食おうかな、などと考えていた午後7時頃・・・
「コンコンコン」
ドアがノックされた。
何だろう?とドアを開けるとホテルのスタッフだった。
「あなたは今日、アオ・マナオビーチ行きましたか?」
行きました・・・
「そこで財布を無くしましたか?」
無くしました~~~~!!!(嗚咽)
財布を拾った人からホテルに連絡があったのだという。
う・う・う・・・
これだけ嬉しかった事は過去にもそうそうない(笑)
僕はホテルスタッフのバイクの後ろに乗せてもらい、暗闇の中WING5の敷地を突っ切り、見覚えのあるビーチの前の建物に到着した。
そして、そこでまごう事無き僕の財布を返してもらった。
トイレの中に落ちていたのだという。
僕は喜びに打ち震えながら財布の中身を確認すると・・・
(な・ない・・・)
タイバーツがごっそり抜かれていた・・・
だが少しは良心が残っていたのであろう。
タイで1番の高額紙幣である千バーツを1枚と少額紙幣だけ残して、あとは全部抜かれた状態だった。
しかし日本円と米ドルはそのまま残されていた。
がっかりはしたがまだ良かったと思った。
被害は9000バーツ、およそ46000円。
痛いは痛いが外国で財布が戻って来た事だけでも奇跡的な事だろう。
拾ったのは20歳位に見える朴訥な感じの青年。
僕は残っていた小額紙幣から300バーツをお礼に渡した。
お金を抜いたのがこの青年だったら盗人に追い金を渡す間抜けな行為となるが、そんな事は分かるはずもない。
僕はそんな事を考える自分が嫌だったし、そうじゃない事を信じたかった。
彼はワイ(両手を合わせ感謝を表す)をして受け取ってくれた。
それにしても拾い主はどうして僕の居場所が分かったのだろうか?
ホテルで改めて財布の中身を確認すると、このホテルでチェックインした時に現金で払ったレシートが出て来た。

アゴダで予約した場合、通常は事前にクレジット払いでレシートなど無いのだが、今回は現地払いだった為にホテルの電話番号が書かれたレシートが入っていたのだ。
そして、それを見た拾い主が電話してきてくれたのだった。
タイでは拾ったものを届けるにしても警察に届けるとは限らず、近くのお店などに預ける事も少なくないといい、そうなると永遠に僕の手元に戻って来る事はなかった。
また、拾い主は届けるにしても暗黙の了解的に、お礼として事前にお金を抜いておく事もあるのだという。
それにしてはちょっと多いが(笑)
(僕がチラッと拾い主の青年を疑ってしまったのもこれを知っていたからだ)
まあ、何はともあれ無事財布が戻って来ることになり、その晩さっそく富士山にお金を返しに行った。
借りていた5000バーツはほとんど使ってなかったので、戻って来た2千数百バーツの中から少し足して無事お返しする事が出来た。
オーナーであるHさんは我が事の様に喜んで下さり
「ツイてますよ~」
とおっしゃって下さった。
「バンコクだったら絶対ないですよ」ともおっしゃっておられた。
そうなんだろうと思う。
落としたのがここプラチュアップキリカンでよかった。
海外で財布を落とすならプラチュアップキリカンに限る(笑)
本当はお礼を兼ねて富士山で食事をしたかったのだが残りのバーツも少なく、何より気恥ずかしかったのでまた次回とさせて頂いた。
Hさん本当にありがとうございました。
それにしても何故トイレに落ちていたのだろう。
いつもはバッグに入れているので落ちるはずがないのである。
つまりはこういう事であった。
最初に有料トイレに行った時、お金を払おうと思ったが人が居なかった為、その際無意識に財布をバッグから取り出し、後で払おうと水着のポケットに中途半端に突っ込んだ状態だったのだ。
そしてトイレで思いっきりズボンを下げ、その時ぽろりと落ちたものと思われる。
なんという間抜けさ・・・
脳の老化か、と本気で疑っている。
財布を出した事に気付いてないとは・・・
その馬鹿さ加減は本当に悔やんでも悔やみ切れない。
まあしかし、致命傷ではなくて良かった、と自分を納得させるしかなかった。
こうして超絶にドタバタしたプラチュアップキリカンの2日めは終了したのであった。
26年タイ・トラブル旅⑪窮地脱出!
※よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい

(前回からの続き)
日本食レストランの「富士山」は丁度ランチタイムの忙しい時間であっただろう。
血相変えて飛び込んだ僕に従業員の方々はさぞ驚いた事であろう。
本当に申し訳ございませんでした・・・
富士山に入店するとオーナーのHさんは見当たらなかった。
しかし幸いな事に奥さんがいらっしゃった。
僕はHさんのブログで奥さんのお顔を知っていたのだ。
切羽詰まっていた僕は奥さんに
「す・すみませんがご主人を呼んでいただけませんか」と相当に焦りながらお願いした。
ただならぬ気配を発していたであろう僕。
彼女ははすぐに奥からHさんを呼んできてくれた。
そして現れたHさん。
こんなかたちで初見するとは(泣)
しかし今まで会った事はないが、散々写真で見て知っていた人物が目の前に現れるのは不思議なものである。
こちらは一方的にHさんのブログを読んで、アップされている写真も見て、もう既に旧知の様な気持ちになっているがHさんは僕の事など全く知らない。
突然呼び出されたHさんは「何事か」と困惑されていた事だろう。本当に申し訳ありませんでした・・・
僕は焦りながら事情を説明し、友人がHさんの口座にお金を振り込むからその分お金を貸して欲しい、とお願いした。
するとHさんは快く了解して下さった。
(良かった~~~)
僕は心からホッとした。
口座番号などの細かなやり取りの為、お金を振り込んで頂くGさんとHさんに直接電話で話をして頂いた。
しかし会話をしているうちに、何だか雰囲気が怪しくなってきた・・・
事情はこういう事だった。
Gさんが振り込もうとしていたのはタイの口座ではなく、日本の口座にお金を振り込もうとしていたのだが、Hさんは現在日本の口座は使用していなかったのだ・・・
これではお金を振り込む事は出来ない・・・
落胆していた僕を見かねたのであろう。
Hさんはこんな事を言って下さった。
「お金をお貸ししましょうか?」
・・・・・・
ありがとうございます~~~~Hさ~~~ん(泣)
本当にありがたかった。
心底ホッとした。
これで何とか八方ふさがりの状況から脱出出来る。
日本に帰国する事が出来る。
「いくら位必要ですか?」
Hさんは僕に尋ねて下さった。
僕は遠慮がちに、けれどもギリギリではない少し余裕のある金額で「5000バーツほど・・・」と答えるとHさんは
「それでは足りないのではないですか?」
神なのかHさんは・・・
5000バーツと言えば約25000円である。
見ず知らずの人に貸すには25000円は大金である。
ましてやタイに住んでいる訳でもないから確実にお金が返ってくる保証もないのだ。
僕は「十分です」と答え、恐縮ながらお返し出来るのはおよそ半年後の7月か8月になる事を正直に伝えた。
それでもHさんは嫌な顔など微塵も見せず快く承諾して下さった。
そこでHさんの言われた言葉が印象に残っている。
彼はこう言ったのだ。
「僕はこういうツイてない事が起きたら、これと一緒に悪運も落とした、と考える様にしています」
僕をなぐさめようとして出たこの言葉は、彼が今までこの外国であるタイという国で、散々辛酸を舐め、打ちのめされた末に自分を奮い立たせる為に培った哲学なのではないか、そんな風に思った。
そしてHさんは「徳を積む」という考えを意識して生きていらっしゃるのではないか、そんな風に感じた。
ここから先は僕の勝手な推測である。
何故Hさんはタイで生きる事にしたのか。
それは、彼はずっと旅を続けたかったんだと思う。
彼はもともとバックパッカーである。
インドやネパール、タイ辺りを長期で旅していた、とブログに書かれていた。
タイで生活する事は旅とは違うが、異国の地での刺激に満ちた事象は旅と共通している。
そして彼は何者かになりたかったんだと思う。
他人とは違う何者かに。
異国の地で誰にも頼らず、自分の才覚だけで自分の食い扶持を確保する事だけでも凄い事だと思う。
ましてや妻を養い、子供を育てて生活していく。
そんな事が出来る日本人がどれだけいるだろう。
どんなに立派な一流大学を出たエリートだって、外国で自分の力だけで生きていくなんてどれほどの人が出来るだろうか。
そういう意味で彼は何者かになったのではないだろうか。
こんな事をお金を借りといて言うもんじゃない(笑)
ついつい長い間Hさんのブログを読んでいて旧知の様な気がして口走ってしまいました・・・申し訳ございません・・・
こうして僕は何とか最悪の状況を脱したのであった。
改めてHさん、Gさんありがとうございました。m(₋ ₋)m
26年タイ・トラブル旅⑩財布がない!
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(前回からの続き)
タイではほとんどの公衆トイレが有料だ。
ここアオ・マナオビーチも同じである。
ところがトイレに行ってみると誰もおらず、お金を払おうにも払えなかった。
一瞬お金を置いて行こうかと思ったが、トイレに行っている間に戻って来るかもしれないと思い、先に用を足す事にした。
しかし戻って来ると、まだ誰もいなかった。
今ここで、その時の気持ちを正直に述べなければならないだろう。
(このまま払わなくてもいいかな・・・💛)
そんな邪な考えが頭に浮かんだブラッキーな僕。
いや、イカンイカン。
お天道様が見ておるのだ。
料金はわずか5バーツ(25円)である。
そんなお金を惜しんでどーする。
まあ、逆に5バーツだから(ま、いいか)と思ったのも事実なのだが。
結局正直者のホワイティーな心が勝った僕。
舌切りすずめの爺さんと甲乙つけがたいと言ってもいいだろう。
そして係の人が分かるであろう所にコインを置いておこうとして財布をバッグから出そうとすると・・・
財布がない~~~~!!!!
ない、ない、ない。
ないったらない。
いや、そんな事があるはずがない。
小さなバッグだから探すところなど限られているのに何度も何度も確認した。
でも、ない。
僕は慌てて海パンのポケットも何度も何度も確認した。
でも、ない。
「サ~~~~」
↑
(血の気の引く音)
いや、ないはずがないのだ!
だって、さっき貸し自転車屋でお金を払ったのだから!
(そうだ!あの貸し自転車屋でお釣りを貰った時に、一瞬財布をそこにある自転車の上に置いた様な気がする!)
僕は猛ダッシュでさっき来た道を戻った。
およそ5キロはあるであろう道を猛ダッシュでペダルをこぎ続けた。
かつて僕の人生でこれほどまでに一生懸命に自転車をこいだ事はない。
大宮競輪に飛び入りで参加したらきっと優勝していただろう。
「す・すみません、ハア、ハア、さ・財布、なかった、ですか?ハア、ハア、ハア」
もう、息も絶え絶えである。
ここまで来る時間の、何と長く感じた事か。
貸し自転車屋のおばちゃんは「何事か?」とギョっとしていた。
しかし無常にも答えは「知らない」だった・・・
そ・そんなはずは・・・
僕の落胆は酷かった。
おそらく次に来た客が自転車の上に置いてあった財布に気付き、そのまま持って行ったんだろう、僕はそんな事を思ったりした。
ただならぬ気配に近くにいた人が集まってきて「警察に行け」という。
僕は警察に行き、財布の落とし物がないか訊ねたが答えは「ノー」だった。
まあ、そうだろうなあ・・・
日本と違って海外で財布を落としても、まず返って来る事はない様な気がする。
タイの警察では事務的ではあったが、結構親切に対応してくれて、見つかったら連絡をくれる様、何故かその警察官とラインを交換した(笑)
そしてありがたいことに、この間抜けな旅行者にバンコクまでの列車代を無料にしてくれる様、タイ国鉄に要請する書類を作成してくれた。
この書類を駅の窓口に出せば無料でチケットを発行してくれるのだという。
金額的にはしれているが、その配慮はありがたかった。

しかし僕は大きな問題を抱えていたのだ。
それは・・・
お金が全くない・・・
いや、厳密に言えば小銭入れに千円札1枚とコインが数枚残っていた。
だがコインは両替不可だし、残り5日ほどを千円札1枚で過ごす事など出来ないだろう。
そしてこの小さな町であるプラチュアップキリカンで両替するにも、日本円を扱ってくれる両替所などおそらくないであろう。(未確認ですが)
その上クレジットカードも全て財布に入れていたのでキャッシングも出来ない。
つまり、ほぼパーフェクトに無一文な状況だったのである・・・
外国で無一文の状態になるってキツイ。
そうとうキツイ。
そこから脱出する手段があまりにも少ないのである。
その時の焦燥感は凄かった・・・
いや、分かってはいたのだ。
海外旅ではお金を分散させておかなければいけない事は。
以前はキチンとそうしていた時期もあった。
だがしかし、いつも何も起きないのでそのうち面倒くさくなって止めてしまっていたのだ・・・
こういう時に限って悲劇は起こる・・・
だが幸いなことに一緒にタイまで来たGさんがまだアユタヤにいた。
僕はライン電話でコールする間
(出て、出て、出て、出て、出て下さいGさ~ん)と心の中で叫んでいた。
「もしも~し」
出た~!!!
Gさんはいつものちょっと間延びした、のんびりした口調で電話口に出てくれた。
Gさんありがとうございますぅ・・・(´;ω;`)ウッ…(感涙)
しかしGさんの予定を訊くと明日の昼にはドンムアン空港からマニラに飛び立ってしまうのだという。
(ゲッ・・・)
これは事件直後、警察に着いたら僕より先に担当の警官に何かを相談している人がおり、それを待ってる間に相当焦った気持ちで電話している時であり、まともに思考出来る状態ではなかった。
え~と、え~と、バンコク行きの列車は何時があったっけ?
え~と、そうだ!早朝発の列車はトンブリ駅には10時半頃着くはずだから・・・
だ~~~!!これじゃ全然間に合わん!!
え~と、Gさんはアユタヤから各駅列車でドンムアン駅まで戻るのだから会うならドンムアン駅か?
となると、クルンテープアピワット駅まで行くしかないか?
クルンテープアピワット駅に行く列車は何時があるんだ?
そもそもこれから乗れる列車はあるのか?
いかん、トンブリ駅とプラチュアップキリカン駅の往復しか考えてなかったからクルンテープアピワット駅行きの列車の事などさっぱり分からん!
(冷静に時刻表を調べる余裕など全くなかった・・・情けない・・・)
それにクルンテープアピワット駅からドンムアン駅への乗り換えってどうやって行くんだったっけ?
そもそも俺はクルンテープアピワット駅など行った事がないぞ・・・
もし列車があれば、今から行ってバンコクに泊まるか?
・・・・・だ~~~!!そもそも金がないじゃないか~~~~!!
もうパニック&シャウトである。
以上のまるで解決に結びつかない事をスーパーコンピューター富岳並みのスピードで考え
「Gさん、一旦電話を切ります~~!!」
順番が来たので、そう言って電話を切った(Gさんすいません・・・)
そして前述の警官とのやり取りの後、再度Gさんに電話し
「富士山(日本食レストラン)のオーナーにお金を貸して貰えないか頼んでみます・・・」
と告げた。
失礼な事は重々承知である。
会った事もない人間がいきなり「お金を貸してくれ」だなんてどんなに厚顔な事か。
そして、貸して貰えるかなんて全く分からない。
そもそも昨日の様に居ないかもしれない。
でも、もう、僕にはそれ以外思いつく方法はなかった・・・
するとGさんは素敵な提案をしてくれた。
「僕がその人の口座にお金を振り込みましょうか?そしてその分をTさん(僕の事)に渡して貰える様に頼んだらどうですか?」
・・・・・・
ありがとうごぜいますだあ~~~Gさん~~~
天才なのかGさんは?
Gさんは元々超大手の銀行マンで40代の時にFIRE(資産を貯めて早期リタイヤする事)した人である。
この様な知識に非常に長けている。
僕はこういうのに疎いので海外から他人の口座にスマホで振り込みする事など思いもしなかったがGさんなら何て事ないのだろう。
(助かった~)
これで厚顔なお願いをしなくて済む。
こうして僕はダッシュで「富士山」に向かったのであった。
(続く)
26年タイ・トラブル旅⑨WING5のアオ・マナオビーチ
(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)
実はプラチュアップキリカンには秘密の?ビーチがあるらしいのだ。
この町にはWING5という空軍基地があるのだが、ここは基本的に誰でも入れるらしく、そして敷地の中にはほとんど人のいない綺麗なビーチがあるというのだ。
その上観光地化されてない分、そこで食べられる食事も地元民価格で通常のタイのビーチに比べ、格安でバカンスを過ごせるらしい。
「いいではないか!」
僕は思った。
プラチュアップキリカンに来た2つ目の目的が、この秘密の?ビーチに行く事だった。
これがとんでもない結果を招く事になるとも知らずに・・・
ホテルの近くで自転車を借りた。
この基地は遠くはないが、歩いて行くには距離があり、その上基地は広大でビーチにたどり着くには自転車かバイクが必要だったからだ。

屋根もない、ただ自転車を路上に数台並べただけの、素朴な貸し自転車屋さんで1日50バーツ(250円)で自転車を借りた。
驚いた事に、ここでは身分証を見せる事もなく、更には名前や電話番号を聞かれることもなく、デポジットを払う必要もなかった。
(どんだけ信用社会だよ・・・)
物事の本質はこの様な些末なところに明確に現れる事がある。
これは、この町の素朴でのんびりとした、バンコクとは全く異なる社会が営まれている事を如実に表しているのではないだろうか。
まあ、自転車は値段通りのそれなりの物ではある(笑)
ペダルはゆがんでおり、変速機も壊れている。だがそんな事はどうでもいいのだ。

海外の知らない街を、のんびりと自転車でふらふらするのは実に気持ちがいい。
完全な自由を手に入れた気分だ(笑)
自転車はその速度が丁度よい。
バイクだと早すぎるが自転車ならゆったりと、見たいものをじっくり見る事が出来て、場合によっては気軽に止まれる。
距離があるならバイクだが、そうでないならやはり自転車が良いなあ。
町の海岸線の道を突き当りまで行き、道なりに右に行くと空軍基地であるWING5が現れる。

WING5入口
情報によると入口ではパスポートを見せるとか、色々記入するとか書かれていたが「ビーチに行く」と言うと何もチェックされる事はなかった。
これは僕の誠実さが身体からにじみ出ている賜物であろう。親に感謝したい。
って言うか、いいのかタイ空軍!?こんなに簡単に部外者を入れて・・・
どうやらタイの空軍をテロによって壊滅させるのは思いのほか簡単そうである。
ビーチへは結構距離がある。
ビーチの名前は「アオ・マナオビーチ」
アオが湾、マナオがライムという意味らしい(グーグル先生に訊きました)
このビーチへは入口から3キロくらいはあったと思う。
途中、滑走路を横切るのが面白い。
遮断機が設置されており、空軍機が発着する際には、電車の様に遮断機がキンコンカンコンと鳴って降りる様だ(知らんけど)
この施設では写真が禁止されており、この滑走路を撮りたかったがルールに従って止めておいた。が、ネットを見ると施設内の写真が大量に出回っている。ガバガバである(笑)
そんな事で僕もビーチの写真を撮った。


タイの綺麗なビーチでこんなに人がいないのは稀有な事であろう。
惜しむらくは南国らしいヤシの木がなく、なんか南国らしくない木で木陰を作っていることだろうか。
また老人率が圧倒的に高い(笑)
僕も初老で人の事は言えないが、若者をほとんど見なかった。
どうやらここプラチュアップキリカンは欧米のリタイヤ組の避寒地らしく、白人の老齢の、そんなに裕福ではない階層の人達が多い様だ。
・・・・・って、正に僕向きの避寒地ではないか!
今ここに引退後の避寒地をプラチュアップキリカンに決定致しました~~(パチパチパチ)
そんなことで(いい所を見つけたわい)と、ビーチでのんびりする前にトイレに行こうとして事件は起こったのであった・・・
26年タイ・トラブル旅⑧プラチュアップキリカンの日本食レストラン「富士山」
(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)

到着日の夕食は第4話で記述した、旅の目的でもある日本食レストランの「富士山」でとる事にした。
まだ夕方の開店まで時間があったので、ぶらぶらと町を探索しながら富士山の場所を事前に確認しに行く事にした。
お店の前まで行くとスタンドにメニューが置いてあり、写真に撮ったのでせっかくなので紹介しておきたい。














う~ん、改めてこうやって見ても美味そうである。
これほどの数の料理を作り、またその食材を集めるだけでも並々ならぬ苦労があるはずである。
バンコクから遠く離れた、この様な小さな海辺の町にこんな本格的な日本料理屋がある事自体が奇跡の様なものではないだろうか。
実際のところ、僕はこの町でオーナーを除くひとりの日本人とも出会わなかった。
つまり日本人をターゲットとせず、地元の人やそんなに多くはないであろう観光客だけを相手に商売を成り立たせる事自体、考えてみたら凄いことである。
余程地元の人に支持されなければ、やっていけるはずがないのだから。
プラチュアップキリカンに行ったら、是非この富士山に行ってみて欲しい。
そして夕方になってようやく今回の旅の目的であった「富士山」を訪問する事になった。構想7年くらいだろうか(笑)
僕は何故か海外で日本食を食べる時は天ぷらを頼む事が多い。
揚げたての天ぷらはカリっとしていて美味しいし、ビールのツマミとしても最高だ。
そして個人的にはあんまりハズレがないと思っているからだ。(まあ、なんちゃって日本食の場合ハズレはあるが)
そしてオーナーがよくブログであげておられる獲れたての生のマグロの刺身を食べたいと思っていた。
僕は松江の出身で海が近く、その上父親が魚が大好きで(父の夕食には大体何かの魚があった)幼少からよく刺身を食べていたのだが、生のマグロの刺身は食べていたのかどうかよく分からない。
たまにマグロの刺身は食べた事はあったが、松江ではマグロは一般的ではなかったと思う。
ましてやそれが冷凍ものだったのかそうじゃなかったのかなど知る由もない。
関東にいる現在、マグロはよく見かけるが大体冷凍ものである。少なくとも僕が口に出来る様なマグロは冷凍ものである。
なのでせっかくならば是非、獲れたての生のマグロの刺身をたべようと思っていたのだが、メニューには載っていなかった。これは獲れた時しかマグロの刺身は無い為であろう。
オーナーもおられなかったので獲れたてのマグロがあるか確認できず、僕を担当してくれた女の子は入ったばかりなのであろう、大変初々しく英語にもまだ不慣れな様で訊くのも申し訳ないかなぁ、と思い注文はまた今度にする事にした。
そして天ぷらの盛り合わせとシンハービールを注文。
天ぷらの盛り合わせはボリュームがあり、大きなエビが2本と様々な種類の野菜の天ぷらが入っている。もうこれだけでお腹がいっぱいになりそうである。

天ぷらのエビは何故こんなにもウマイのであろうか。
カリカリのころもの中にアツアツで甘みのあるホクホクの身。
絶品である。
刺身や焼き物も良いが、個人的には天ぷらが一番エビの真価を発揮出来ている様な気がする。
アツアツのエビ天をハグハグする
⇓
アヒアヒっとビールをグビグビする
⇓
うめー!プッハー!とする
⇓
更にアツアツのエビ天をハグハグする
⇓
更にアヒアヒっとビールをグビグビする
⇓
うめー!プッハー!とする
無限ループである(笑)
こんな日本から遠く離れた異国の小さな海辺の町で、本格的で美味しい日本食が食べれてビールが飲める幸せ。これ以上の幸せはどこにあるのだろうか?
出来ればオーナーと会って、多少なりとも会話をしてみたかったがそれは叶わなかった。まあ、仕方がない。また次回がある。
結局ビールをもう1本頼み、最後に巻物を食べて「富士山」を後にした。
オーナーの努力が詰まった素晴らしい店だと思った。
それは従業員の態度からも感じられる。
是非お立ち寄り下さい。
26年タイ・トラブル旅⑦プラチュアップキリカン到着

(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)
プラチュアップキリカンには15分遅れで到着した。
およそ6時間半の道のりであった。
赤くかわいらしい小さな駅舎を出ると、線路に沿った道と、海まで真っすぐ伸びたのどかでたおやかな光景の道が続いている。
僕はこの景色を見た瞬間
「ああ、この町はいいなあ・・・」
と思った。
初めての人と出会った時も、こういうのが起こる事がある。
これは直感であり理屈ではないのだ。
海まで続く道は高いビルなどまるでなく、のんびりしていて人もあまり見当らない。
基本的に何もない様な、のどかな田舎の町の光景が広がっているだけである。
でも、僕はいいな、と思ってしまった。



今回の宿は海沿いにとった。
なので海まで続く道を真っすぐ歩いて行く。
途中、なぜか気なる宿を見つけた。
これも理屈ではなく直感だ(笑)
何となくピンと来たのだ。

ユチチャイホテルというのだろうか?
ホテルの1階はコーヒーショップになっている様で、店先に長期滞在らしき白人がのんびりコーヒーなど飲んでいる。
僕はあと3年ほどしたら仕事を引退して、日本が冬の間はタイを中心とした温かい東南アジアの国で避寒生活をしたいと夢見ている。
なのでこの様な、安く長期滞在出来そうな宿を見つけると気になってしょうがないのだ(笑)
値段を訊いてみるとトイレ・バス共同のシングルのファン部屋で220バーツ(約1100円)。バス・トイレ付きで350バーツだという。
円安と物価高の折り、この価格は有り難い。
僕の乏しい年金を考えると尚更である。
部屋は覗かなかったが、後日たまたまYouTubeでこの宿を紹介してる動画を見つけ、部屋の中も清潔で良さそうだった。
なので備忘録としてこのブログに記録しておくのである(笑)
今回僕が泊まるホテルはMONT TALAY HOTELという。
何か月か前、アゴダで見かけてここに予約したのだ。
その時の価格は2200円ほどだった。
海岸沿いに建ち、窓から海が目の前に広がり、ベランダもある良さげなホテルに見えたからだ。
そしてグーグルマップに添って近づくも、看板が見当たらない。
場所的にはここで合っているはずなのだが、MONT TALAY HOTELという文字がどこにもないのだ。
(おかしいな・・・)
だがそこには大箱の、マンションの様なホテルの様な建物が建っている。
しかしこんな大型の、アゴダに載っている様なホテルで看板も出してないなどちょっと考えられないよなあ、などと思っていた。
それでもここしか考えられないから敷地を横切り、フロントらしき所へ行くと果たしてここがMONT TALEY HOTEL(モンタレーホテル)であった(笑)
いや、厳密に言えば看板は出ていたのである。
しかしそれはタイ語だった。
アゴダに掲載している位だから、さすがに英語の看板くらいは出してあるだろうと、こちらが一方的に思い込んでいたのであった。
これでは読めない・・・(笑)

ちなみにMONTは山、TALEYは海岸や海鮮的な意味のタイ語

フロントでチェックインしようとするとお金を払ってくれ、と言われた。
通常アゴダで予約をするとクレジットで既に決済がされているはずである。
(あれ、まだ払っていなかったっけ・・・でもそう言えば支払いは現地で、って書かれていたような気もしたなぁ・・・)
もう何か月も前に予約したのでよく覚えていなかったのある。
一応、ひと言「支払ってなかったっけ?」的なことは言ったが、すんなり支払うことにした。
1泊450バーツ(2304円)で3泊分の現金を渡し、レシートを貰った。
ここで現金で払った事がその後の僕の大ピンチを救うことになるのだが、この時はそんな事を知る由もない。
部屋はこんな感じで一見悪くなさそうだが、内実はボロボロである(笑)

せっかくいい気候だから外気を入れようと窓を開けると、窓枠からぼろぼろぼろっと木枠の欠片が大量に落ちた。腐食しているのである・・・(エアコンはないファン部屋だった)
気を取り直して水場に行くとシャワーの水はちょろちょろっとしか出ず、温水ではなく水シャワーである。
シャワーのノズルはシャワーのそれではなく、じょろじょろじょろっと勢いのない水道から出る水の様である。
タイは暑い国ではあるが、よっぽど暑くないと特に朝晩の水シャワーはキツイ。
部屋はもうここのところしばらく利用されて無い様な、そんな雰囲気を感じる部屋だった。全体的にくたびれている感が半端ない(笑)
しかし景色は良い。
この部屋の唯一の長所はベランダからの眺望である。
逆に言うとそれ以外はない(笑)

ちなみに後になってフロントにあった料金表を見てみると、今回予約したツインベットルーム(ベッドひとつでよかったのだがツインしかなかった)が420バーツになっていた。直接払った方が安かったのだ。
それに元々ツインなど必要なく、ワンべッドでいいので予約などせず、ウォークインでシングルを取れば390バーツで済んでいた。ここは大箱だし混んでいるホテルには見えないので簡単に部屋は取れていたと思う。
まあ大体アゴダでは予約した方が安いのだが、現地払いではこういう事が起き得るのかなあ、と勉強になった。まあ、たいした金額ではないのだが安いに越したことはない。
ちなみに1か月滞在するとシングルが1泊320バーツになるとの事である。
バス・トイレ付きでは先ほどのユチチャイホテルより少し安くなるのかもしれない。ユチチャイでは1か月割引は聞いてないが。

こんな感じでプラチュアップキリカンでのゆる~い滞在がスタートしたのであった。
26年タイ・トラブル旅⑥トンブリ駅からプラチュアップキリカンへ(其の2)
(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)
列車の旅はいいもんだ(笑)
無事に7:20発車のトンブリ発ラン・スアン(LANG SUAN)行き255番各駅停車に乗る事が出来た。
プラチュアップキリカンは13:27着予定で途中下車するかたちになる。

料金は56バーツ(286円)。

走行距離約300キロを考えたら破格の安さである。
この物価高の折り、庶民の移動手段は意図的に政府が価格を抑えているらしい。
その代わり300キロあまりを6時間以上かけての移動となる。
ケツが痛くなる事間違いなしである。
乗り込んでみると何と、木製のハードシート!
(お・お・ま・い・がー(;゚Д゚) )

しかし、ここで座らなくてよかった。
この先の車両にクッションの効いたソフトシートがあったのである。

危なかった・・・
危うく木の椅子に座るところであった。
列車は一旦西のカンチャナブリ方面に向かったあと、マレー半島を南下していく。
しかし、せっかく海沿いの細長いマレー半島を南下して行くのに、海が全く見えないのは残念である。海を眺めながら列車に揺られて旅が出来れば、この路線は更に素晴らしいものになるであろうに。(プラチュアップキリカンが近づく頃になってようやく海が見える)
それでも日本とは異なる風景が車窓に広がるのは楽しい。
何時間か乗っていると南国らしいヤシの木が見えてきた。

そしてお昼を過ぎた頃、物売りのおばちゃんから弁当を買う事にした。
せっかくならビールも一緒に買って車窓を眺めながら飲みたかったが現在は禁止されてしまった様である。昔はこれが楽しみであったのだが。
何となく呼び止めて購入したのがこの弁当。

名前はピッケーンと言うと思う。
そう聞こえた。
インゲンと豚肉と唐辛子を炒めて目玉焼きが乗った弁当だ。
結構辛いがまずまず美味い。以前も食べたことがある料理だ。
量が少なかったので追加でクイッティヤオも買った。

細麵の汁なしクイッティヤオである。
こちらは凡庸。まあ腹の足しにはなる。
昔読んだ開高健の本の中に
「旅は人を賢者にはしないが、ものを考えるには打ってつけの時間である」
といった内容の一節があった。
全くその通りだよなぁ、と思う。
なんか旅をする事で人は鍛えられ、成長し、賢くなっていく的な事を書いていたり、ユーチューブでそんな内容の動画があったりするが、そんなのはウソだと思う。
いや、出来ることなら「旅=賢者への道」であって欲しい。
何故なら僕は結構旅をしている方だと思うからだ(笑)
旅のついでに賢者に近付いているならラッキーである。
しかし残念ながら自分を見ているとそういう事は全くない。
いやこれは謙遜でもなんでもない。
むしろ楽しい事ばっかりを追い求め、どんどん怠惰になっている気さえする。
旅は単なる趣味である。
いち趣味である旅が他よりも人を賢者に近付けるなど、普通に考えたら残念ながら答えはノーであろう。
しかし物事を考えるには打ってつけの時間である事は間違いない。
旅にあるのは圧倒的な時間である。
もちろんそうじゃない旅もあるであろうが、例えば今回の様に6時間も基本的に何もする事がなく、じっと座っているなんてことは日常生活ではあまりない。
当然人はその間に普段あまり考えない事なども思い浮かべて思慮するであろう。
旅の魅力のひとつが、この圧倒的な時間の余裕の中でとりとめなく思いを巡らせる、ある意味「贅沢な時間」なのではないだろうか。
プラチュアップキリカンに近付くにつれ込んで来た。
ボックス席の向かいの人にプラチュアップキリカン駅に着いたら教えて欲しいと頼んでおいた。
そしてしばらくするとトントンと膝をつつかれ「次の駅だ」と教えてもらった。
列車は15分ほど遅れてようやく目的の町、プラチュアップキリカンに到着した。

次回に続きます。