(よかったらこの話は第1話から読んでみて下さい)
前回でついに脱バカラ宣言をしたワタクシ。
およそ10年に渡るバカラとの格闘に敗れ、負け犬の遠吠えとしてその格闘で感じた事を書き残しておきたい。今後(不幸にも?)バカラを始めてしまった人や現在プレイしている人にとって指針の一助になれば幸いである。
ならんか・・・
まず最初に感じるのは「バカラは難しい・・・」という事である。
単純であるがゆえに。
入り口は非常に柔和で人当たりがよのだ。
微笑んでさえいる。
バクチでこれだけ簡単に当たり、テラ銭の低いものもないだろう。
(テラ銭とは差っ引かれるお金の事で、昔バクチは寺で隠れて行われた為、その際場所代として寺に払うお金という意味でテラ銭という)
2分の1の確率だからそりゃあ当たる。
当たると嬉しい。
嬉しいからもっかい賭ける。
また当たる。
更に賭ける。
またまた当たる。
脳汁が出る。
更に賭けずにはいられない。
↓
ジャンキーの出来上がり。
とまぁ、簡単に言うとこういう図式である。
この2分の1の確率で当たる、というのが罠なのだ。
バカラはそのゲーム性において技術の要素がない。
技術の要素がない運だけの2分の1は流れが読めないという事である。
僕は当初(というか有体に言うと今でもすがる様に)バカラで勝つには自分に流れが来た時にガツンと賭け金を上げ、ツイてない流れの時はぐっと頭を下げて行けばいいんじゃないか、と考えていた。
それこそがバカラの技術であり、その為には自分にツキがある時を知覚出来る事が肝要だと、ずっとその感覚を探し求めていた。
自分に間違いなくツキがある、と思える瞬間とはどういう時か。
例えばみっともないケースになるが、僕はたまにバンカーとプレイヤーを間違えて逆に賭けてしまう事がある。
オレはそんな事しねえよ、という方もおられよう。
僕はいろんな要因でたまにそういうミスをしでかす時がある。
そしてそのポンコツぶりが幸運にも神のいたずらで当たったりする事がある。
(よし、これはツイてる!)
僕は思う。
ここは行かなければ!と。
で、行ってどうなるか。
結果は当たる時もあれば当たらない時もある、という事になる。
当たった時は「やっぱりな」と思うし、当たらなかった時は「なんでなんだよ!」と怒りがわいてくる。
結果はいつも「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」である。
これを何度も経験すると中々ガツンと賭けられない事も出てくる。
何か強い思いがないと大きく賭けられないのがバカラである。
なのにその強い思いが当てにならないのだ。
これに多少なりとも技術という要素が加われば、流れというものは確実に存在する。
残念ながらバカラには技術の要素は存在しない。
ただ配られたカードをめくるだけである。
僕は学生時代に麻雀が割と強かった。
麻雀には運の要素も大きいが技術の要素も確実に存在する。
僕は常に流れというものを考えて麻雀をしていた。
技術という要素のある賭け事は流れが存在するからだ。
ツイている時は強めに行くし、ツイてない時は頭を低く抑える。
しかしバカラにそれは通用しない。
通用している時はそう思い込んでるだけである。
そしてバカラの恐ろしいところは賭け金がどんどん大きくなっていく事である。
最初は少額で楽しめても賭け金はやがて少しずつ、そして確実に大きくなっていく。
これは脳がどんどん大きな刺激を求めていく為であろう。
日本にカジノがなくて良かったとつくづく思う。
今度大阪に出来るらしいが、これは大変に罪深い所業である。これがパチンコ並みに身近にあったなら日本は破産者だらけの国になっている事は間違いない。
現実的な話ではないが、もし無尽蔵にお金があって賭け続ける事が出来れば2分の1で当たるバカラはどんなに負け続けていてもやがて取り戻す事が出来る。
しかしほとんどの人は途中でお金が尽きて負けた状態でその場を去ることになる。
これがバカラで勝てない要因である。
恐ろしいことにバカラではバンカーならバンカーが10回、20回、またはそれ以上に連続で出続けることがある。
これはそれだけ当たり続けることもあれば負け続けることもある、ということだ。
実際僕はポイペトで30回近く連続で同じ目が出続けたのを見たことがある。
それが当たり続けるケースならいいが、逆に負け続けるケースならそれに耐えられる人はいないであろう。
こうして人はバカラから去っていくのである。
そして困ったことにバカラは極めて面白い。
負けてまで次の勝負を考えてしまうほど面白い。
こんなに夢中になれることは中々ない。
罪深いバクチだと心から思う。
そして僕はこの度バカラから退くのである。
もとよりたいしたバカラーではない。
ミニマムベットの、とことん突き詰める所まで行けない小物賭人である。
でも何か少し寂しい。
あれだけ夢中になって、でも負けて、勝てないことを自覚させられた。
無念である。
(でも、今ももう少し何とかなるんではないか・・・という思いもくすぶっている)
だが老後の旅資金確保の為には仕方がない。
ここはおとなしくするのである。
それではみなさんサヨウナラ・・・
































