旅とバカラと酒と本

自分のおももくままに書き綴るブログです

2024年バカラ旅始め⑮カオサンⅤ

(よかったらこの話は「2024年バカラ旅始め①」から読んで下さい)

 

その店を見つけたのは全くの偶然であった。

カオサンからほど近い、チャオプラヤー川添いの安ゲストハウスの近辺をブラブラ歩いていると、多くの人は左に曲がるであろう角を(右には何も無い様に見えるので)何かに導かれる様に右に曲がってみると、入り口は開け放たれ一見すると何の建物なのか分からない様な食堂に出会った。

食堂と分かったのは中学生らしき地元の少年が二人、ご飯を食べていたからだ。

完全に地元民達の食堂でここなら値段も安いだろうと覗いてみると、案の定安かった(笑)

ゲストハウス近くの安食堂のメニュー① ご飯物40バーツから(166円)

メニューその②

参考までに「2024年バカラ旅始め②」で食べたイムちゃん食堂のメニューと比べてみると安いのが分かる。イムちゃん食堂も焼飯などはそれほど高くないのだが、その2/3位の価格である。

(今、バンコクではちょっとしたレストランなら焼飯でも100バーツ位は普通にする所も多い)

イムちゃん食堂のメニュー①

イムちゃん食堂のメニューその②

お昼ご飯はここのカオパットガイ(タイ風焼飯鳥肉入り50バーツ)を持ち帰りにして、ゲストハウスの景色の良い屋上で食べる事にした。

先ほどゲストハウスのおばちゃんに、屋上が気持ちいいよと教えてもらい、行ってみたら気持ち良かった(笑)

飯はここで食べようと決めていたので持ち帰りにする事にしたのだ。

チャオプラヤー川とカオパット(焼飯) 

 

美味かった(笑)

大体カオパットは外れがない。安定の美味さである。

ここを発見してからは毎食ここで買って食べていた。

ちなみにその日の晩ご飯はパッタイ(タイ風焼きそば)とチャーンビール。

パッタイとビールの組み合わせは最高です

 

美味かった(笑)その②

難点は夕方6時には店を閉めてしまう事である。

それに合わせて晩飯を早くしないといけない・・・

早朝より営業しているのは有難いが。

 

こんな地元民しか来ない様な店にも何回目かにはファラン(白人)が現れた。

さすがはファランである。

ファランはどこにでも現れる。

彼らは実に好奇心が旺盛である。

日本人はまあ、焼飯や焼きそばなどに馴染みがあるのでこういう店でもある程度はいけるが、彼らはパン文化だしお洒落な店を好む傾向もある。

この店に大挙してファランが押し寄せているのに驚いたし、何故だか残念な気持ちになった(何故だろう)。

メニュー表がなければ食堂とはなかなか気付かない

ファラン(白人)に占拠された地元民食堂 何だか悔しい・・・

 

 

話は全く変わるが、ここカオサン周辺には水の給水機がある。

値段は何と1バーツ(4.16円)。

1リットル給水できる。

水の給水機 1バーツ

数バーツをケチってどうするんだ、というお叱りの声も聞こえてきそうだがだまらっしゃい。

その数バーツでご飯をピセー(大盛)にする事も出来る(我ながらセコイ・・・)

まあ、同じ水を安く買えるんだったらそっちの方が良いでしょう、という事で紹介しておきます。

 

 

そして突然ですが、なんやかんやと脈絡なく書き連ねてきた今回の旅行記ですが、ここで終了と致します。

 

 

やはり旅は面白い。

カオサン(の近く)では特別何をするでもなく、ブラブラしていただけだが実に気持ちが解放される。

何度も書くが日本の冬に短パンTシャツでブラブラするだけでもいいもんだ(笑)

皆さんも是非、日本の冬にタイ王国へ( ´艸`)

ゲストハウス屋上からの風景 チャオプラヤー川に沈む夕日



次回バカラ旅マニラ編へ続きます!

 

 

2024年バカラ旅始め⑭カオサンⅣ

(よかったらこの話は2024年バカラ旅始め①から読んで下さい)

 

カオサンは魅力的な場所だが不便な場所でもある。

現在ではバンコク高架鉄道や地下鉄が普及し、昔の様にどこへでもタクシー、というわけではない。

増してや円安物価高で、日本人には以前の様に気軽に乗れる交通手段ではなくなってしまった。(低収入サラリーマン的意見)

カオサンは鉄道路線から取り残された場所に存在する為、中心部に移動するにはバスや船を利用するのが安い。

バスは通称「赤バス」と呼ばれ、料金8バーツ(2024年1月)だ。

カオサン近くのバス停 数字の数だけ路線がある

カオサン近くのバス停②

路線は充実している。が、時間は読めない。

日本の様に時刻表など無いから何度も乗った路線じゃないと、ある程度の時間の計算が出来ない(それとも最近は何かアプリでもあるのかも)

 

赤バスはエアコンなど無く、轟音を響かせながら窓全開で爆走する。

エンジンの喘ぎ声が聞こえる様だ。

赤バス車内 懐かしの板張り

 

また、チャオプラヤーエクスプレスという船の移動手段も趣がある。

バンコクにはチャオプラヤーという川が流れているが、文字通りこの船はチャオプラヤーを運行する。

川なので渋滞はないし、川を流れる風が気持ち良く、川から眺めるバンコクの街並みも趣がある。

料金は16バーツ程。(急行など違う料金もあり)

チャオプラヤーエクスプレス 乗る時は飛び乗る

船から見たバンコクの風景 なかなか趣があります

 

今回はバスでMBK(マーブンクロン)というショッピングモールに行ってみる事にした。

特に用事はない。

20年位前に行った事があるが、暇だったし最近ドンキホーテが入ったと聞いたので、どんなもんかと興味本位で行ってみる事にしたのだ。

行ってみると正面にドンキとカラオケのまねきねこの大きな看板が掲げられていた。

ド迫力である。

巨大なドンキとまねきねこの看板

 

呆然と見ていると、何人だか分からないが二十歳位の女の子に看板をバックに写真を撮ってくれ、とお願いされた(笑)

 

ドンキの店内は日本のそれと似た様なものだが、何せ値段が高い。

日本以上の価格である。

830円ほど 自分で買うのは躊躇する(泣)

 

コロッケ58円ではない。58バーツ(241円)

メンチカツ99円ではない。99バーツ(410円)

ペヤングソース焼きそばもある

ペヤングソース焼きそばなども山積みされており、79バーツ(330円)。

誰が買うんじゃい、と思っていたら女子高生ぽい女の子があっさり買って行ったΣ(・□・;)

バンコクの購買力を侮っていた・・・

 

 

ここは日本か?と思わせる様な風景

バンコクの至るところにラーメン屋はあるが、ここにも入っており大盛況であった。

タイの日本食の普及はすさまじく、日系のレストランチェーンでタイにないものは無いと言っても全く過言ではない位の普及度である。

まあ、嬉しい事ではあるが価格が日本と変わらないかそれ以上、というのが玉にきずである。

 

ここはタイ料理のフードコートなどもあり、割と安く様々なタイ料理も食べられるし、お土産物やパチもの、衣料品各種等、色んな物があるのでバンコクに行かれた際は立ち寄ってみるのもありかと思う。

タイ料理フードコートメニューの一例 200円位から

 

2024年バカラ旅始め⑬カオサンⅢ

(よかったらこの話は「2024年バカラ旅始め①」から読んで下さい)

 

カオサン近くのゲストハウスに泊まった翌日の朝、近くの公園に缶コーヒーを持って散歩に行った。

この公園はプラスメン要塞(昔、外敵から国を守る為に砲台を置いた砦)に隣接した、小さいながらもなかなか気持ちの良い公園で、すぐ側にはチャオプラヤー川も流れる。

カオサンに行くと必ず1度は訪れる公園で、芝生に寝転がるも良し、木陰のベンチに座って読書するも良し、という僕のお気に入りの場所なのだ。

短パン、Tシャツでホテホテと公園まで歩き、ベンチでぼーっとしていると、日本は冬なのを思い出し、なぜか頬が緩んでくるのを禁じ得ない(笑)

サンティチャイプラカーン公園 リスも見た事がある

しばらくのんびりしてから、近くの屋台で朝食を食べた。

タイの朝食と言えば「お粥」である。

タイのお粥は美味い。

日本人の口にもピッタリ合う。

量も結構あり、僕はいつもお腹一杯になるので値段の安さも相まって満足度が高いと感じる。

お粥の屋台 写真の男性は鶏肉団子を作る係

屋台に貼ってあったメニュー  タイ語のみだが写真で分かり易い

この屋台はかなり人気がある様で、日曜日だった事もあるのか、なかなか順番がまわって来ず結構待ってようやく食べる事が出来た。

 

鶏肉の団子と半熟卵を入れて50バーツ(約200円)。

タイのお粥 ジョークという

 

テーブルにあった刻んだショウガを乗っけると美味い、と向かいのおばちゃんが教えてくれて、試してみたら美味かった。

アツアツなので「アヒッ アヒッ」と大汗をかきながら完食した。

タイのお粥はお勧めである。

 

 

さて、昨日のゲストハウスは1泊しか出来ないと言われていたので、これから今夜の宿を探さないといけない。

本当は12時以降に探すのがベストだが、少し早いが何軒か当たってみる事にした。

 

コロナで海外に行けなかった人が一気に戻って来たのか、ここはいいな、と思う所は空いておらず、少し高いなと思う様な所しか空いてなかった。

しょうがないので一旦宿に戻る事にしたのだが、そう言えば隣にもゲストハウスがあったので訪ねてみる事にした。

初日に泊まったゲストハウスの隣の宿

ファンのみのエアコンは無しで400バーツ(約1660円)だと言う。

エアコン無しで400バーツなんてちょっと前なら即座に断っていたが、最近のバンコクでは決して高いとは言えない。

一応連泊を条件にディスカウントをお願いすると、350バーツ(約1460円)にまけてくれた。

それなら、と部屋を見せてもらうと板張りの床で、ちょっと古臭さはあったがかなり広かったので泊まる事にした。

とても広かったが水シャワーが残念

トイレ、シャワーも付いていたがシャワーは水のみで温水器は無かった。

水シャワーは状況によっては冷たくてキツイ時もあるが、まあ何とかなるだろう。

 

完全に納得した宿ではないが、やはり宿が決まると落ち着いた気持ちになる。

今日は中心部の方へでも行ってみようかと思う。

 

 

次回に続きます。

2024年バカラ旅始め⑫カオサンⅡ

(よかったらこの話は「2024年バカラ旅始め①」から読んで下さい)

 

カオサンは不思議な街である。

タイなのに白人がやたらと多く、パっと見にはタイ人よりも多くいる様に見える。

タイでは白人はファランという。

本当にファランに占拠された街なのだ。

カオサンのカフェ さりげなく動画を撮り、そこから切り取った写真なのでご安心を

ヨーロッパのカフェではございません(笑)

 

それにしても彼らは実に余裕がある様に見える。

昼間っからカフェでビールやお茶を飲んで、本を読んだり談笑したり、とても時間を優雅に使い人生を楽しんでいる様に見える。

 

正直に言うと、僕はいつも彼らを見る度に「勝てないなぁ・・・」と思う。

外見や体格もそうだが、その行動やしぐさなども、何だか「勝てないなぁ・・・」と感じてしまう。

 

何かの劣等感であろう。

何でだろう?

外見や体格は仕方ないが、ひとつにはアレだ。

休暇に対する考え方も関係あると思う。

日本の休暇に対する考え方はとても貧しい。

短い休暇をみんなで一斉に取ってあっという間に終わる。

3週間程度の休暇を楽しむなんてとんでもない話だし、罪悪であるとすら感じる。

 

ヨーロッパのバカンス3週間論、というのがあり、まず最初の1週間で日常から離れ、次の1週間で完全にバカンスに染まり、最後の1週間で日常に戻していく、というものである。

日本では下手したら最初の日常から離れる前に休暇が終わっている(笑)

 

バカンスが完全に文化として生活に根付いた人達と、労働こそ美徳(それはそれで素晴らしいがもう少しバランスがあっても良いと思う)という人達の差ではないだろうか。

 

休暇の時間に余裕があれば、休暇の内の何日かをこうしてカフェで費やしたとしてもどうってことない。

いや、むしろこうして何もしないゆっくり流れる時間こそ価値がある様に思う。

 

日本人の中に外国に旅行に行って、ゆったりと1日カフェに時間を費やす事に価値を置く人がどれだけいるだろうか。

何かしなきゃ、何か見なきゃ、と駆けまわる人がほとんどの様な気がする。

その要因のひとつが短い休暇と、バカンスを楽しむという概念が無いからだと思われる。

 

僕は1987年の大学生の時、初めてタイのプーケットに行って、そこでバカンスを楽しむ白人達を見た時「ああ、日本もこんな風に長い休みが取れて、人生を楽しめる社会になるといいなあ・・・」と心から思ったものだ。

 

40年近く経って、ついぞそんな社会は現われなかった(笑)

 

だから仕事をリタイヤする事が楽しみで仕方がない。

バカンスとはちょっと違うが、ずっと終わりを決めない長い旅に憧れていた。

実現する事は出来るだろうか。

そんな時間が本当に訪れるとは信じ難く半信半疑でもある。

 

これには「お金」「健康」「家族の状況」「世界情勢(コロナや戦争)」などあらゆる要因がマッチして初めて実現する。

しかしその時期は確実に近づいて来てはいる。

何とか実現させたいものである。

夕方前のカオサン通り 夜は弾け過ぎて行く気にならない

 

 

2024年バカラ旅始め⑪カオサンへ

(よかったらこの話は「2024年バカラ旅始め①」から読んで下さい)

 

結局列車には間に合わず、ミニバスでバンコクへ戻る事になった。

不思議な事にこのミニバス、バンコクからアランヤプラテートへは4時間弱で行くのだが帰りは5時間以上は掛かる。

理由はバンコクに着くと渋滞しているのもあるが、途中の休憩所でやたらと時間を使って滞在するのだ。

 

いつも「どのくらい休憩するのか」と聞くと「15分」だの「20分」だのと答えるが大体45~50分位は滞在する。

こんなに長く滞在せず、さっさとバンコクに戻った方が良さそうなものだが乗客達も特別不満な様子はなく、むしろこの滞在を楽しんでいる節すらある。

まあ、運転手がこの休憩所に長く立ち寄る事で、乗客達がお金を落とすので休憩所からバックマージンでも貰っているのかもしれない。

 

今回は「タイ飯を食べる」というテーマもあったので、どうせまた長い時間滞在するんだろうと、お腹も空いていたので屋台のカオカームーを食べる事にした。

久し振りのカオカームー 美味かった

カオカームーとは甘しょっぱいタレで煮込んだ豚足肉をご飯にかけたもので、日本人の口にもまずまずイケる。

茹で卵つきで50バーツ(約200円)だった。

 

もしかして時間通りに出発するといけないから多少急いで食べたのだが、案の定、車に戻っても誰も居やしない・・・(憤怒)

それでもいつ出発するか分からないので、車の見える所でウロウロしながら時間を潰したのだが結局50分も無駄に滞在した・・・

早く帰ろうよ、ホント・・・

 

結局バンコクのパヤータイという場所に着いたのが午後1時を過ぎており、パタヤビーチに行く気も失せ、ここから割と近いカオサンに行く事にした。

 

カオサンとは世界最大とも言われる大旅行者街で、ホテルからゲストハウス、レストランや旅行会社など、旅人の求めるあらゆるニーズに応える事の出来る街である。

僕も2000年頃までは結構泊まったりしていたが、何せここは交通の便が悪い。

バンコク中心部に行こうとするとタクシー、バス、場合によっては船などを駆使して移動しなければならず結構面倒くさい。

欧米人の休暇のように長い期間滞在出来るならいいが、僕の様な、しがない日本のサラリーマンの休暇には移動時間のロスが大きくて段々と足が遠のいてしまい、ここへ泊まるのは久しぶりである。

 

しかしこのカオサンには安宿から中級宿まで(最近は高級宿もあると聞いたがよく知らない)沢山存在しているので、行って宿にあぶれるという考えられない。

今回なぜカオサンに泊まろうと思ったかは、仕事を辞めた後の長期滞在出来そうな安宿をチェックする為である。

Airbnbの様に個人宅を安く借りられるシステムも最近では人気だが、基本的には長期のレンタルが主流だし、一度長めに借りてしまうと、飽きてしまって移動したい、と思った時厄介である。

移動したいと思った時でもすぐ移動出来る、短期でも安く泊まれる宿のチェックが今回のカオサンの目的なのだ。

 

当てはある。あるバックパッカーがお勧めしていた「ベラベラリバービューゲストハウス」である。

ここは厳密に言うとカオサンではない。カオサンから10分程度歩いた、バンコクを流れる大河、チャオプラヤー川添いの安宿である。

このゲストハウスはトイレ、シャワーが付いて250バーツ(約1000円)。

エアコンは無い。

往年のバックパッカーなら、「えっ高いじゃん」と思うかもしれない。

そうじゃないのだ。

タイはもうそういう時代ではない。

これでも破格の安さである。

僕も思う。昔は良かった・・・

と懐かしんでもしょうがない。

 

ここはかなり清潔である。

ここなら1ヶ月滞在しても3万円だし、すぐに移動してもよい。

ベラベラリバービューの室内 快適です

飛び込みで行ったが1泊しか空いてないという。

本当は3泊はしたかったがしょうがない。

欧米人に人気でなかなか部屋がとれない様だ。

ポイペトからの移動と歩きまわったので疲れて、他の宿を探す元気もなく泊まる事にした。

こうして久し振りのカオサン(じゃないけど)ライフが始まった。

 

次回に続きます。

 

 

2024年バカラ旅始め⑩バカラの魅力 「絞り」(しぼり)

(よかったらこの話は「2024年バカラ旅始め①」から読んで下さい)

 

バカラにハマっている僕だが、何故ハマったかの理由のひとつに「当たる」というのがあると思う。

やはり賭け事は当たらないと面白くない。

バカラ控除率は1~2%程度と言われる。(控除率とは簡単に言えば胴元に取られるお金である)

実にバクっと言ってしまえばバカラでは2回に1回は当たる、という事になる。

当たると嬉しい。

ドーパミンがドバドバ出る→→ハマる という構図である。

 

これが庶民の娯楽、パチンコだと控除率は10~15%程度だと言われる。

競馬だと25%だ。

宝くじに至っては55%が控除されるそうなので、1万円買ったらその時点で5500円を失っている事になる。

それじゃあ当たらないワケである。

宝くじは数度しか買った事はないが毎回300円とかしか当たった事がない。

それでは長く続けられない。

面白くないのだ。

 

その点バカラは魅力的である。

1万円賭けて当たれば1万円が儲かる。しかも2回に1回の確率でだ。

これなら工夫次第で何とかなる、と思ってしまう。

そこが罠かもしれないが・・・

 

ところでバカラのもう1つの大きな魅力に「絞り」がある。

これがあるが為にバカラにハマる人は多い。

 

バカラではバンカーならバンカーに、1番大きな金額を賭けた人がカードをめくる権利を得る。

この、カードをめくる時のスタイルは人によって実に様々である。

だが一様に共通しているのは、誰もが自分が願う数字が出る様、人によってはカードが折れ曲がるほどにギリギリと力を込めてカードをめくる。

この力を込めてカードをめくる事を「絞り」(しぼり)と言う。

 

僕の絞り方はこんな感じである。

縦絞り 角の数字を指で隠してめくる

まずは「縦しぼり」 カードの短い辺の方から角に書かれてある数字を指で隠し、写真の状態の所までめくって止める。

この場合、トランプカードのデザイン上、可能性のあるのは4から10となる。

これを2列なので「ツーライン」と言う。

 

横絞り① 同じ様に角の数字を隠してめくる

続いて「横絞り」 辺の長い方を同じ様に3分の1位めくる。 上の写真の場合6から8の数字が出て来る可能性がある。

 

横絞り その②

上の写真の場合、出て来る可能性のある数字は9か10である。

 

バカラでは合計9の数字が1番強い。

例えば1枚目のカードの数字が2だったとする。

この場合2枚目の数字は7が最も望ましく、続いて6である。

 

1枚目が2で、2枚目の縦絞りで最初の写真の様に2ラインが出てきたら、まずは最高である。

何故なら2ラインでは4から10の可能性があるからだ。

 

そして横絞りで2枚目の写真の様に、マークが3つ現れたら期待せざるを得ない。

この場合6か7か8が出て来る可能性があり、7なら最高だが6でも良く、しかし8なら最悪の10(10は0)となる。

 

ここで僕はカードを掴む指に力が入り、ギリギリとカードを絞り込んでジワジワとめくる事になる。

決して素早くは開かない。

ゆっくりとゆっくりと力を込め、カードの真ん中の列に1個だけマークが「付け!」「付け!」「「付け!」と念じながらめくる。(真ん中にマークが1つ付けばデザイン上7になる)

 

これが「絞り」である。

客観的に見れば、こんな事したって結果は変わらない。

興味のない人からしたら実にバカバカしく思えるだろう。

しかしこれが面白い(笑)

絞りのないバカラだったらやらない方がいいくらいだ。

 

同じバンカーならバンカーに賭けた周りの人達も一心に応援してくれる。

動作から6か7か8であろうと想像がつくからだ。

この一体感がまた良い(笑)

バカラの醍醐味と言える。

 

以下参考までに・・・

縦絞り ワンライン

上の写真の場合は1列なのでワンラインと呼ぶ。

この場合出てくる可能性のある数字は2か3である。

縦絞り 何も現れない

上記の場合は必ず1が出てくる。

また写真にはないが、11から13のジャック、クィーン、キングは絞った場合、絵柄が現れるのですぐそれと分かる。

バカラではこれらをピクチャーと呼び数字上は0である。

 

例えば1枚目に9が出た場合、2枚目を絞っている時に、同じところに賭けてる人から「ピクチャー!」「ピクチャー!」と応援の掛け声を浴びる事も多い(笑)

2024年バカラ旅始め⑨勝利そしてカンボジア出国

(よかったらこの話は「2024年バカラ旅始め①」から読んで下さい)

 

結局3日目はトータル11200バーツ(46592円)のプラスで終える事が出来た。

初日からのプラマイは16960バーツ(70553円)のプラスとなった。

旅の最初に考えていたのは航空券(今回55620円と高かった)、ホテル代、食費などで最低でも7万円位は勝ちたいと思っていたので最低金額はとりあえず達成である(パチパチパチ)。

まあ、初日の大負けを考えたら上出来である。

 

 

話は変わるが、こんなポイペトでも朝は気持ちが良い。

まだ暑くもなく、ホテルの敷地は整備もされているので快適である。

こんな天気の中を、短パンTシャツで歩いていると、まだ寒い日本の事を思い贅沢な気持ちになる。

雲ひとつない快晴。ここはハワイ?いやポイペトです。

 

そして4日目の朝を迎え、僕は結構悩んでいた。

もう一泊するか、それともバンコクに戻るか、でである。

今回の旅はサラリーマンの僕にとっては珍しく、8日間の日程の少し長めの旅である。

今から戻ればパタヤビーチ位だったら行けない事はない。(この時点で朝の5時半頃)

折角だったらビーチでも行きたい。

でももうちょっとバカラもしたい。

 

どうしよ、どうしよ、どうしよ、どうしよ・・・

 

悩みに悩みながら、心は決まらないまま、足だけは今日のホテル代、というか宿泊がタダになるチップ代25000バーツを払いにカウンターに向かっていた。

もうちょっとでカウンター、という所で突然気持ちが固まった。

 

「よし!バンコクに戻ろう。列車で戻ろう!」

 

何故だか分からない。

何だかもう一泊して、またバカラの勝負に集中する事が面倒臭く思えたのだ。

 

すぐ隣のアランヤプラテートからはバンコク行きの列車が出ている。

確か7時頃の出発だ。

たまには列車で旅情を味わうのもいいだろう。

ビールなんぞ飲んで、車窓からのんびり風景でも眺めよう。

今からすぐに荷物をまとめてカンボジアを出国すれば列車に間に合うはずだ。

よし急げ!

 

 

甘かったのだ・・・

 

 

まずチェックアウトが時間が掛かった。

チェックアウトをしようとすると備品を盗んだり、壊したりしてないか、カウンターから客室係に電話をし、チェックさせるのだがこれがまた時間が掛かる。

 

ようやく終わったと思って、急いで出国管理事務所に向かった時点で6時15分くらいだったのだが着いてみると異常な混みである。

出国管理事務所は6時オープンだがもう既に100人近い列が出来ていた。

土曜日というのも関係しているのかもしれない。

 

僕は知っている。

このくらい並ぶと1時間は掛かる事を。

不思議な事にタイを出国する時はさほど混んでないのにカンボジアを出国する時はいつも混んでいる。

さすがにまだ6時過ぎだから大丈夫だろうと思っていたのに全くダメだった。

 

「あ~あ・・・」

 

こんな事ならポイペトにもう一泊すれば良かった・・・

そう思ったが後の祭りである。

もう一度戻ってチェックインするのはとてもじゃないが面倒臭く感じた。

仕方がないので溜息をつきながら長い列に並び、こんな事を考えた。

 

「いやいや、勝負してたら大負けしてたぞ」

 

そう思って自分をなぐさめながら・・・

 

次回に続きます!

2024年バカラ旅始め⑧1日160バーツ(665円)滞在

(よかったらこの話は「2024年バカラ旅始め①」から読んで下さい)

 

2日目の午前中に完璧な勝利を収めてから、その後の展開はとても順調であった。

小さな負けはあってもコツコツプラスを積み重ね、2日目トータルは16975バーツ(70616円)のプラス。昨日のマイナスを引くと5760バーツ(23961円)のプラスになった。

 

3日目は金曜日なので宿泊代が高い。

25000バーツ(104000円)分のチップを購入しないと宿泊が無料にならない。

25000バーツ分のチップをチャラにするのはプレッシャーが掛かるが、何とか4425バーツ(18408円)のプラスで終了。

ポイントはある展開でセオリーを破り、それが的中した事で、その後押せ押せでプラスに持っていけた瞬間があったからである。

2話前に「原則に従って賭ける」と書いた事と相反するが、調子の悪くない時は、時には柔軟に変えてみるのもありだという気がする。

 

流れとしてはこんな感じであった。

戻り目が始まったばかりの展開であったが、僕はどうしても次はツラ目が来るという予感がしてならなかった。

 

こんな時は基本的にその強い直感に従って賭ける様にしている。

こんな直感はバカラにおいては当たるも八卦、当たらないも八卦で全くあてにならないが、強い思いがないと賭けられないのもまたバカラである。

その様な強い思いがしたのにその通りに賭けず、外してしまった時のショックは大きい。

外したとしても「強くそう思ったのだから」と自分を納得させる事は出来る。

 

これが長く続いているツラ目や戻り目の時は絶対やらないが、まだ始まったばかりのツラ目や戻り目の時は、調子が悪くない場合には、たまにこういう事をするのもありだと思う。

 

結果として直感通りにツラ目が来た。

こんな時は押さなければならない。

その時は1000バーツずつ賭けていたが、次はそのままツラ目に3000バーツ(12480円)賭けた。

案の定、次もツラ目が来て3000バーツゲット。その後も1000バーツずつツラ目に賭けて5連勝し、結局この時の貯金が効いてトータルプラスになった。

 

「ふ~~」

 

何度も書くがこんな時のビールは美味い(笑)

そう言えば昨日は160バーツ(665円)しか使わなかった。

宿泊と飯はタダになったのでビール代のみである。

ここのカジノの売店ではシンハービールが40バーツする。

つまりはビール4本分の値段である。

昼2本、夜2本飲んだのだ。

勝利の後のカンボジア飯とビール この瞬間大好きです(笑)

僕は旅に出るとビールを毎食の様に飲んでしまう事がある。

良くない。

バカラ旅に出ると特にそうだ。

勝利の後など(負けてもそうか・・)飲まずにはいられない。

(アル中か?)

しかしこれが堪らなく美味い。

この瞬間があるのもバカラ旅の最大の魅力のひとつである。

あんまり美味くないと思いながら完食である(笑)



カジノの無料飯 毎回内容が少し変わる そして毎度のビール

カジノの飯は日本人には微妙である。

見た目はイケそうなのだがちょっと違う。

食えないわけではない。

味が日本人には少しなじまないのだ。

どうも味が間が抜けていたり、ちょっと酸味がかっていたり、もろもろ。

テーブルにはナンプラー(タイの醤油)が置いてある。

間が抜けている時はこれをかけときゃ何とかなる。

日本人の強い味方、ナンプラー

1月のスイカ おつなもんです。


結局3日目もビール代160バーツしか使いませんでした。

この調子なら老後のカンボジア長期滞在も夢じゃないかも?

 

次回に続きます

2024年バカラ旅始め⑦ポイペトの知人

(よかったらこのお話は「2024年バカラ旅始め①」から読んでください)

 

以前にもブログに書いた事があるが、僕はポイペトに知人がいる。

彼はコロナ前には携帯を持つのを止めてしまい、連絡などは一切取れないし、僕もコロナで海外に行けなかったので、もう何年も会ってないが元気なのだろうか。

 

出会いは偶然であった。

 

コロナで潰れてしまったが、以前ORCHID(オーキッド)という場末のカジノがあり、そこでバカラをしていたらテーブルの端っこに何だか日本人らしき人を発見した為、声を掛けたら案の定日本人であった。

話を聞くと、彼はこのポイペトにもう何年も暮らしているらしい。

全くもって失礼な話だが僕にとってポイペトは住む所ではなく、有体に言ってしまえば、とてもじゃないが僕には住めない、という感じの場所である。

 

土埃が舞い、すえた臭いがし、そんな環境のクーラーもないゲストハウスのひと部屋を1ケ月100米ドルで借りて、食費も含めて月に200米ドル程度で暮らしているのだという。

それを聞いて僕は衝撃をくらった。

 

そして彼の話は色々と興味深く、また連れて行ってもらった場所も普通の旅行者なら知りえない地元民だけのカジノなど、居住者ならではの情報だった。

 

ポイペトはカジノ以外には本当に何もなく、彼がここにいる理由もカジノがあるので退屈しないからであり、毎日色々なカジノをパトロールしている。

従ってポイペトのカジノの事は隅から隅まで知っており、またバカラのみならず、日本人にはあまり馴染みのないタイガー&ドラゴン、ニュウニュウ(牛牛)なんて賭け事までよく知っている。

この辺のバカラのローカルルールであるインシュランスというものも彼から教わった。

彼とはその後も何度か会い、またゲストハウスにお邪魔した事もあるのだが、まだあのゲストハウスにいるのだろうか。

さすがにあのコロナの状況では日本に戻っているのではあるまいか?

そんな事を考えながらも「完璧な勝利」の後、訪ねてみる事にした。

 

ポイペトにはキャピトルという旅人には割と有名なバス会社があるのだが、彼のゲストハウスはその近くにある。

 

確かここだったなと、ゲストハウスの従業員に,ここに日本人はいるかと尋ねてみると「ああ、」という感じで部屋番号を教えてくれた。

何とその部屋番号はコロナ前と変わっていなかった。

 

「まだ居たんだ・・・」

 

感慨深いものを感じながら部屋のドアをノックすると反応がない。

何度かドアをノックするとようやく彼が寝ぼけ眼の顔をのぞかせた。

 

「いやいや、どうもお久しぶりです!」

 

と言うと彼も誰だか分かった様で

 

「あの、すみませんが下の入り口で待っていて下さい」

 

と言う。

 

下で待っていると5分ほどで彼が現れた。

 

「いや~どうもどうも」という感じでお互いの再会を喜び、いろいろ話を聞いてみると、彼はコロナ渦でもずっとポイペトにいたらしい。

ポイペトの日本人Aさん。掲載許可はとってあります(笑)

 

「いや~下手したらもう死んでるんじゃないかと思いましたよ!」と軽口を叩くと

 

「あ~はっはっはっは」と豪快に笑うAさん。

 

「ここのところ朝方寝てるんですよね~」との事。

 

それは申し訳ない事をした。

今はまだ昼過ぎである。

なんにせよ元気で良かった。

体調は特に問題ないという。

彼ももうあと何年かで還暦である。

いつまでも元気でポイペトライフを楽しんで欲しい。

今回あらためて知ったのだが、彼はもう12年もポイペトで暮らしているらしい(驚)

そして日本に帰るつもりはないとの事。

更にはスマホを手に入れてインターネットも楽しんでいた。

良きかな良きかな。

さっそく僕のブログを教えて見てもらう事にした。

 

現在彼はオーストラリアドルで預金をしており、その利率が3.8%(だったか?)付くらしくそれで充分生活していけるらしい。

何故だか預金残高を見せてくれて、こちらが驚くほど意外な金額の預金がされていた。

 

おろろろろ・・・

 

我が家より貯金があるんじゃないすか。

ショックでし・・・

今回Aさんに教えてもらった地元民しかいないカジノ

地元民カジノその② 自分だけじゃとても来れん・・・



2024年バカラ旅始め⑥完璧な勝利

(よかったらこの話は「2024年バカラ旅始め①」から読んで下さい)

 

11、215バーツ(46、654円)負けた翌日、僕はバカラを始めて以来初めて「完璧」と言ってもいい勝利を収めた。

「完璧」と言っても金額ではない。勝ち方の事である。

初日に5万円近く負けてしまうと、何とかプラスマイナス0でこの旅を終わろうと弱気になり、儲けようなどという気持ちは全く無くなっていた。

そして一点、気をつけようと思ったのが「原則に従って賭ける」という事である。

 

昨日の勝負は特に後半以降、実にフラフラした賭け方をしていた。

僕の賭け方はツラ目を追いかけ続け、戻り目に切り替わったら戻り目を追いかけ続ける賭け方である。

(*ツラ目とはバンカーならバンカーが続けて勝つ流れであり、戻り目とはバンカーとプレイヤーが交互に勝つ流れである)

昨日はそれを徹底出来ず、迷いながら賭けていた為、本来であれば当たっていたものをみすみす逃したりしていた。

 

二日目の場の流れはこんな感じであった。

 

バンカー

プレイヤー

バンカー

プレイヤー

バンカー

プレイヤー

プレイヤー

プレイヤー

プレイヤー

プレイヤー

プレイヤー

バンカー

プレイヤー

バンカー

プレイヤー

バンカー

プレイヤー

バンカー

プレイヤー

バンカー

バンカー

バンカー

バンカー

バンカー

バンカー

プレイヤー

バンカー

プレイヤー

バンカー

バンカー

プレイヤー

バンカー

プレイヤー

バンカー

プレイヤー

バンカー

プレイヤー

バンカー

 

キリがないのでこの辺で止めるが、ほぼほぼツラ目と戻り目が交互に繰り返される展開で、たまに2回バンカーが続いたり、プレイヤーが続いたり、という事はあったにしろ、ほとんどが僕の賭け方と合致するもので、もちろん戻り目からツラ目へ、ツラ目から戻り目へ切り替わった時は外れるが感覚的には8割方が当たった様な、そんな感覚であった。

そして15000バーツの換金出来ないチップを使い切った時には手元に27、550バーツ(114,608円)の換金出来るチップが残り、プラス12、550バーツ(52、208円)と昨日の負けを取り返した上に5554円と少しではあるがプラスに転じる事が出来た。

これで2泊タダになった上に4食分が無料になり、更に5千円ほどのおこずかいまで頂いた事になった。

 

こんなにも自分の賭け方が当たった事はかつてなく、勝負が終わった後、何だか信じられない気持ちでボーっとしてしまった。

こんな時飲むビールは美味い(笑)

まだ午前中の勝負を終えたばかりではあるが、さっそく売店シンハービールを買い、貰った食事のクーポンを使って祝杯をあげる事にした。(このカジノでは食堂でビールが飲める)

 

勝った勝負を反芻しながら飲むビールの何と美味い事か。

これがあるから僕はバカラをやめられないとも言える(笑)

カンボジア飯とシンハービール 昼間からご機嫌です