旅とバカラと酒と本

自分のおももくままに書き綴るブログです

コロナ後のカジノ旅①マニラ

「それでは5時に串まさで!!」

 

 

旅友2人と夕方5時に居酒屋で飲む約束をした。

 

場所は・・・

 

マニラのマビニ通りにある日本人が経営する居酒屋である。

 

僕には個人的に旅友と呼んでいる友人がいる。

1人はGさんという方でこの方とはマニラの空港から市内に向かうバスの中で知り合った。

バスの行き先を尋ねると大変親切に教えて下さった事から好感を持ち、行き先が同じだったのでそのまま一緒に食事する事になり現在までお付き合いが続く、という流れである。

 

しかしこのGさん、まるでマニラにそぐわない、と言ったらおかしいが僕がイメージするマニラに巣食う日本人やマニラに足しげく通う日本人というとどこか胡散臭い、怪しげな人物を想像してしまうのだが(すみません偏見です!)Gさんの印象といえば「品行方正」「清廉潔白」もひとつオマケに「謹厳実直」といった感じの方である。

それもそのはず、Gさんは誰もが知ってる国立大学を卒業後、一流銀行に就職した経歴を持つ人なのである(銀行は途中退職され現在は投資関係の仕事をしておられる)

 

しかし人とは面白い。

 

Gさんは仕事の関係でだいたい月1回のペースでマニラに来られているが、同時に何とKTVで嫁さんを探しているのだという。

 

「へ?」

 

それを聞いた時思わず内心で唸ってしまった。

KTVと言ったらカラオケパブとキャバクラを足して2で割った様な所である。

そんな日本人を食い物にする様な海千山千の強者女性が集う所で嫁さん探しをするとは・・・。

他人事ながら「大丈夫なのか?」と思わず心配してしまった。

 

しかしそこは頭脳明晰なGさんである。

よくよく聞けば「なるほど~ そういうのもありか」と思わされないでもない。

Gさん曰く

「自分は結婚して子供が欲しい」

「自分の歳だと日本では子供を産める様な年齢の女性との出会いは難しい」

「しかしフィリピンでは可能性がある」

 

確かにそうなのである。

フィリピンに限らず東南アジアでは年齢差のあるカップルをちょこちょこ見かける。

日本に比べ、その辺は鷹揚なのである。

しかしKTV以外に何か方法はないのだろうか、とも思うが他に何か思い浮かぶものもないし、第一KTVの女性が全て商売だけで男性を見ているか、と言えばそんな事もないだろう。

中には性格が良くて、Gさんを個人的に好きになってくれる女性がいないわけではない。

つまりGさんのやってる方法は彼の目的から逆算すれば案外正しいやり方かもしれないと思わされるのだ。

 

この様にGさんは僕にとって興味の尽きない面白い人物なのである。

 

もう1人はKさんである。

Kさんとはバンコク行きの飛行機の中で知り合った。

その時の僕の席は3人シートのまん中という最悪の席だった。

飛行機の場合ひじ掛けの問題がある。

ひじ掛けの使用について全く考えてない男が多過ぎるのだ。

隣の席が女性の場合はまず問題ない。

彼女らはとても賢い。ちゃんとその辺は考えて相手が不快にならない様に行動する事が出来る。

問題は男である。結構な確率でひじ掛けを我が物顔で使ったりする。

その時の右隣の若い男がそうだった。

ところが左隣の人はそうではなかった。ひじ掛けの使用についてちゃんと考えているのが伺える。

それがKさんだった。

その後僕がトイレに行く際、席を立ってもらったのだが戻って来るとKさんは通路で屈伸運動なんぞして待っておられた。

それを見て何だか面白く思った僕は席に着くとKさんに話し掛けた。

話をしてみるとKさんも結構海外には行っている様で、特にフィリピンへは取材を兼ねて相当な回数を重ねている事が分かった。

Kさんの本職は映像の専門家で誰もが聞いた事のあるテレビのドキュメンタリー番組を作ったりしている。

そしてフィリピンへは個人的な興味からある題材でノンフィクション映画を作る為に何度も足を運んでおられた。

その題材というのが何と「フィリピンにはまった男達」という内容である。

フィリピンにはまる男達には色々な要因がある様で、ある男は日本で犯した犯罪から逃げてきた者、日本のフィリピンパブで出会った女を追いかけ来た者、フィリピンで一発当てようとやって来た者など様々である。

ところが結構な割合で男達はフィリピン人や同じ日本人に騙されたり豪遊したりで、すってんてんになって帰るに帰れない状態になったりしている。

中にはスラムに住むまで落ちぶれた人や挙げ句は日本人なのにフィリピンで路上生活している人、パスポートなんかとっくに無くしてしまった人なんかもいる。

そんな悲哀こもごもな日本人達を普通の人ならまず行く事の出来ないスラムにまで追いかけ映像に収めるという事を誰に頼まれたわけでもないのにたった1人でやっている、ある意味凄い人物なのである。

 

それを聞いた時、僕は前述のGさんを紹介したくなった。

映画の役に立つ云々ではなくフィリピン好き同士で話したら楽しいだろうなあ、と思ったからだ。

そしてそれは実現した。

ある時新宿で3人で初めて飲み会を開いたのだ。

それがコロナ前である。

不思議な事にその飲み会はコロナ渦でも続いた。

いつしかその飲み会はマニラ会と命名され「いつかマニラでマニラ会を」が合言葉になっていた。

しかし最初の頃、それは実現するとは思えなかった。

この会は今まで何の関係もない3人がとても細い糸で繋がっていた会だったからいつ切れてもおかしくなかったし、コロナがいつまで続くのかも分からなかった。

コロナが収束しなければマニラになんて行けるはずもなく、また3人とも日本に住んでいるので3人の予定をぴったり合わせてマニラでマニラ会なんて夢のまた夢、といった感じだった。

 

ところが実現したのだ。

 

マニラでマニラ会。

 

なかなか感慨深いものがありました。