(よかったらこのお話は「2024年バカラ旅始め①」から読んでください)
以前にもブログに書いた事があるが、僕はポイペトに知人がいる。
彼はコロナ前には携帯を持つのを止めてしまい、連絡などは一切取れないし、僕もコロナで海外に行けなかったので、もう何年も会ってないが元気なのだろうか。
出会いは偶然であった。
コロナで潰れてしまったが、以前ORCHID(オーキッド)という場末のカジノがあり、そこでバカラをしていたらテーブルの端っこに何だか日本人らしき人を発見した為、声を掛けたら案の定日本人であった。
話を聞くと、彼はこのポイペトにもう何年も暮らしているらしい。
全くもって失礼な話だが僕にとってポイペトは住む所ではなく、有体に言ってしまえば、とてもじゃないが僕には住めない、という感じの場所である。
土埃が舞い、すえた臭いがし、そんな環境のクーラーもないゲストハウスのひと部屋を1ケ月100米ドルで借りて、食費も含めて月に200米ドル程度で暮らしているのだという。
それを聞いて僕は衝撃をくらった。
そして彼の話は色々と興味深く、また連れて行ってもらった場所も普通の旅行者なら知りえない地元民だけのカジノなど、居住者ならではの情報だった。
ポイペトはカジノ以外には本当に何もなく、彼がここにいる理由もカジノがあるので退屈しないからであり、毎日色々なカジノをパトロールしている。
従ってポイペトのカジノの事は隅から隅まで知っており、またバカラのみならず、日本人にはあまり馴染みのないタイガー&ドラゴン、ニュウニュウ(牛牛)なんて賭け事までよく知っている。
この辺のバカラのローカルルールであるインシュランスというものも彼から教わった。
彼とはその後も何度か会い、またゲストハウスにお邪魔した事もあるのだが、まだあのゲストハウスにいるのだろうか。
さすがにあのコロナの状況では日本に戻っているのではあるまいか?
そんな事を考えながらも「完璧な勝利」の後、訪ねてみる事にした。
ポイペトにはキャピトルという旅人には割と有名なバス会社があるのだが、彼のゲストハウスはその近くにある。
確かここだったなと、ゲストハウスの従業員に,ここに日本人はいるかと尋ねてみると「ああ、」という感じで部屋番号を教えてくれた。
何とその部屋番号はコロナ前と変わっていなかった。
「まだ居たんだ・・・」
感慨深いものを感じながら部屋のドアをノックすると反応がない。
何度かドアをノックするとようやく彼が寝ぼけ眼の顔をのぞかせた。
「いやいや、どうもお久しぶりです!」
と言うと彼も誰だか分かった様で
「あの、すみませんが下の入り口で待っていて下さい」
と言う。
下で待っていると5分ほどで彼が現れた。
「いや~どうもどうも」という感じでお互いの再会を喜び、いろいろ話を聞いてみると、彼はコロナ渦でもずっとポイペトにいたらしい。
「いや~下手したらもう死んでるんじゃないかと思いましたよ!」と軽口を叩くと
「あ~はっはっはっは」と豪快に笑うAさん。
「ここのところ朝方寝てるんですよね~」との事。
それは申し訳ない事をした。
今はまだ昼過ぎである。
なんにせよ元気で良かった。
体調は特に問題ないという。
彼ももうあと何年かで還暦である。
いつまでも元気でポイペトライフを楽しんで欲しい。
今回あらためて知ったのだが、彼はもう12年もポイペトで暮らしているらしい(驚)
そして日本に帰るつもりはないとの事。
更にはスマホを手に入れてインターネットも楽しんでいた。
良きかな良きかな。
さっそく僕のブログを教えて見てもらう事にした。
現在彼はオーストラリアドルで預金をしており、その利率が3.8%(だったか?)付くらしくそれで充分生活していけるらしい。
何故だか預金残高を見せてくれて、こちらが驚くほど意外な金額の預金がされていた。
おろろろろ・・・
我が家より貯金があるんじゃないすか。
ショックでし・・・