旅とバカラと酒と本

自分のおももくままに書き綴るブログです

旅のトラブル⑨

ハノイの空港から市街へはいつもミニバスを利用していた。

ミニバスとはボックスカーの座席を改造し本来なら7~8人乗り?の車を12~13人くらい詰め込む乗り物だ。

その代わり安い。当時2ドルで空港から市街中心地まで行っていた。(そのもう少し前は1.5ドルだった)

まあ、ぎゅうぎゅうに詰め込まれるが30分くらいの時間なので問題ない。(そしてこのミニバスは乗客が集まって満員になると出発する)

ところがある時から(今から7~8年前、2013~4年頃だった様な気がする)それまで国際線と国内線が同じ空港であったのが新しく国際線の空港が出来て分離した。

いつも通り空港に降り立った僕はミニバス乗り場に行って車に乗りこむとまだ白人の若い男性1人しかお客がいない。いつもなら地元の住民で車の中はほとんど満員であり、少し待つとすぐ出発する事になる。

すいていたお陰で良い席に座る事が出来て喜んでいたのだが、その後待てども待てども乗客が一向に集まらない。おそらく出来たばかりの空港でミニバスの場所を知らない人が多いのと、元々ベトナム人の利用がほとんどで国際線専用空港になった事でなかなか人が集まらないのであろう。

ようやく4~5歳くらいの女の子を連れた美人の白人母子がやって来たがそれっきりである。

さっきも書いた様にこのミニバスは人が集まるまで出発しない。車内は経費節約の為かエンジンは掛けておらず非常に暑い。その後もしばらく座席に座ったり暑いので車の外の縁石に座ったり、結局1時間近く待っただろうか、とうとう白人の兄ちゃんがバッグを担いで空港の方に戻ろうとした。

とっさにタクシーで行くのだろうと判断し「タクシーで行くならシェアしないか」と声を掛けた。

すると案の定その通りで一緒に行く事になった。そしてそれを見ていた母子も「私達も一緒に行っていいか」と声を掛けてきた。当然一人あたりの出費は減るわけだから願ったり叶ったりである。

男性はスウェーデンから来たと言い、母子はフランス人であった。

タクシー乗り場に行くとスウェーデン人がタクシードライバーと交渉したのだが金額がとんでもない事を言う。わずかな距離なのに50ドルと言うのだ。

それならば、と次に並んでいるタクシーと交渉すると同じ様にやっぱり50ドルだと言う・・・

そして次も、その次も、と異口同音に同じ事を言う。おそらく全員示し合わせて同じ金額を言う様にしているのだろう。

ベトナムでいかに空港からとは言え50ドルは高すぎる。どんなに高く見積もっても通常ならせいぜい10ドルまでであろう。

何度も交渉を繰り返し、押したり引いたりしたものの一向にラチがあかない。

我々はとうとう市街地に行く手段を失い途方に暮れて立ちつくしてしまった。

どうにもこうにもならない為、我々は解散しそれぞれが手段を見つける事になった。

僕は路線バスがないか調べたり、空港のインフォメーションに相談したり、誰かの車に乗せてもらえないかとか色々やってみたがどうしてもダメだった。

そして皆も同じだったのだろう。偶然またある場所で全員鉢合わせた。

そして皆で何となく苦笑いし、もう一回全員で交渉してみようという事になった。

見ればこんなボッタクリタクシーに乗る人などほとんどおらず、間抜けなことにほぼタクシーは稼働してない。これでは運転手も稼ぐ事など出来ないだろう。

そこで並んでいるタクシーの後ろの方に行っていつ順番がいつ来るともしれない運ちゃんに僕が交渉してみた。

するとボッてはいるのだが最終的に1人7ドルで話がまとまった(女の子は無料)。そしてここまででおよそ2時間の時間が経過していた・・・

 

(前にも書いたが東南アジアの国民性で断トツに性格が悪いのがベトナム人である。これは差別でも偏見でもなんでもない。実際に日本に来ている外国人で犯罪者の数が一番多いのがベトナム人で二番目が中国人ある。日本に来ている人の数では圧倒的に中国人が多いわけだからその犯罪発生率たるや驚くべきものがある)

 

ようやく市街地に向かえたわけだが、その時の僕の目的地はハイフォンという場所へ行く為のバスターミナルだった。しかしタクシーに乗ってみるとこれが意外なほど近かった。

 

(あ~こんなに近かったのか~ しまったな~)

 

なんて思いながらもお金を出そうとすると、なんというかもう、同じ困難に立ち向かってきた同志としての結束の心が芽生えた、とでも言うべきか、何とフランス人の母親が猛烈に抗議してくれたのだ・・・

 

「こんなに近いんだったら高すぎるわ!」

 

一度料金を約束したんだからこれは反則とは思うがその勢いに負けて5ドルに料金が下がる事になった・・・

僕はフランス人の母親にお礼を言い、女の子にタイで買った飴をあげてタクシーを降りた。抗議してくれるなんて予想もしてなかったのでとても嬉しかったのを覚えている。